神の言葉はとこしえに変わることはない

4月19日

「人はみな草だ。その麗しさは、すべて野の花のようだ。主の息がその上に吹けば、草は枯れ、花はしぼむ。たしかに人は草だ。」イザヤ40:6-7

 血気盛んで、活力に溢れて生きているときはその状態がいつまでもつづくように錯覚します。しかし、実際の人生はまるでローソクの火が激しく燃えて、一気に消えゆくようにはかないものです。まさに雑草のようなものです。この言葉に続いて、「神の言葉はとこしえに変わることはない」とあります。主の言葉の確かさに支えられて生きてください。(KE)

人の一生を導くのはその人自身ではなく、神様だからです

4月18日

「ああ深いかな、神の知恵と知識との富は。そのさばきは窮めがたく、その道は測りがたい。」ローマ11:33

 “これからどうなるだろうか”という不安は、人に将来を見たいと思わせます。明日のこと、来年のこと、十年先のことなど・・・。そのため、様々な占いや呪術的なものに誘惑されます。しかし、どんな方法をやっても将来を予見することは不可能です。なぜなら、人の一生を導くのはその人自身ではなく、神様だからです。今日も主のご計画とご支配のなかに生かされていることを自覚しておきましょう。(KE)

あなたがたは多くのすずめよりも、まさった者である

4月17日

「五羽のすずめは二アサリオンで売られているではないか。しかも、その一羽も神のみまえで忘れられてはいない。」ルカ12:6

 「すずめ」ほど、ありふれていて、珍しくもなく、値打ちのない鳥はいません。しかし、父なる神様はそのような小さなものにすら目を留めていてくださるのですから、あなたのことを忘れることがあるでしょうか。「あなたがたは多くのすすめよりも、まさった者」であると続いています。今日も、あなたの上に注がれる主のご愛の眼差しを覚え、感じ、御手に導かれて歩みましょう。(KE)

人が恐れているものはこの世だけのものです。人の命はこの世だけでは終わりません

「また、からだを殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、からだも魂も地獄で滅ぼす力のあるかたを恐れなさい。」マタイ10:28

 人はいつも何かを恐れている者です。病気だとか、老後のこと、経済的なこと、人間関係など、様々なものを恐れます。しかし、それらはこの世だけのことです。人のいのちはこの世だけでは終わりません。神様のもとへ帰るのです。そのとき神様に喜ばれる者となるように、今を生きようではありませんか。神様を畏れ敬い、主の道を歩んでください。(KE)

神様が喜ばれることをできないと思いますか。ならば、その理由は何でしょうか

4月15日

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって、神があなたがたに求めておられることである。」第一テサロニケ5:16-18

 神様が私たちに求められることは決して難しいことではありません。しかし、実行しようとすると、これほど困難なことはありません。喜び、祈り、感謝する。ただこれだけのことです。今日も一日、神様が喜ばれることをしようではありませんか。あなたにはできないと思いますか。ならば、その理由は何でしょうか?(KE)

忍耐して待つことはむしろ楽しいことです

4月14日

「わたしは耐え忍んで主を待ち望んだ。主は耳を傾けて、わたしの叫びを聞かれた。」詩篇40:1

 信仰を持って生きるとは、忍耐して神様のわざを待つことです。どうなるのかわからないまま、ただひたすら忍耐することは大変苦痛です。しかし、限りない愛であなたを愛してくださる神様に期待して、良きことを備えて下さる希望を抱き、忍耐して待つことはむしろ楽しいことです。今日あなたが置かれている境遇のなかで祈りつつ、主がなして下さる出来事を待望しながら、生きようではありませんか。(KE)

あなたはもうすでに神様のものなのです

4月13日

「恐れるな、わたしはあなたをあがなった。わたしはあなたの名を呼んだ、あなたはわたしのものだ。」イザヤ43:1b

 神様はあなたをひとり子イエス様の命を代価として買い取ってくださったのです。あなたはもうすでに神様のものなのです。しかも、あなたのことを全て知り尽くし、名指しで神様の所有としてくださいました。それほどの大きな犠牲が注がれたあなたを神様は見捨てることができません。今日も、この神様の手にいっさいを委ねて従ってまいりましょう。(KE)

いつも神様を思う心であるとき、平安と望みがあります

4月12日

「わたしは常に主をわたしの前に置く。主がわたしの右にいますゆえ、わたしは動かされることはない。」詩篇16:8

 あなたの心にいつもある思いは何でしょうか。病気の事、お金のこと、子供や孫のこと、老後のこと、仕事のことでしょうか。ダビデ王は何よりも第一に神様のことを心の中に置いたと言います。いつも神様を思う心であるとき、平安と望みがあります。それ以外のものが心を占めるとき、不安と失望しかありません。どうぞ、今日も主を絶えず思って生きてください。(KE)

神様を信じて、そのみ手に自分を委ねてみませんか

4月11日

「狭い門からはいれ、滅びにいたる門は大きく、その道は広い。そして、そこからはいって行く者が多い。」マタイ7:13

 与えられた一回限りの人生をどのように生きるべきでしょうか。世間に習い、習慣やしきたりに身をゆだねて、多数の中のひとりとなって生きるのはとても易しく、楽な生き方です。しかし、その結果は虚しく、活ける屍というほかありません。神様を信じて、そのみ手に自分を委ね、人に倣わず、世に流されない人生こそ、生き甲斐のある人生です。ただし、これは狭い門です。(KE)

心を低くして主を呼び求めてください

4月10日

「ヤコブは眠りからさめて言った、『まことに主がこの所におられるのに、わたしは知らなかった』。」創世記28:16

 神様は本当におられるのだろうかと思うような現実が目の前にあります。しかし、見える状況や事態がどんなであっても、実に神様はその所におられるのです。ただ、私たちの霊眼が遮られて気づかないだけです。心を低くして主を呼び求めてください。必ず、主は答えて、ご自分の存在を現してくださいます。それによって、私たちが主を喜び、ほめたたえる者となることを願っておられるからです。(KE)