3月18日
「わたしは、自分を強くして下さったわたしたちの主キリスト・イエスに感謝する。」第一テモテ1:12a
人は弱いので、強くなろうと努力します。他人(ひと)の噂、死の恐れ、経済的な不足、嫌われることの恐れ、など、いろんなことで動かされ、ひとときも休まりません。しかし、あなたがキリストと共に十字架に死んだものとなりきって、主によって生かされていることを確信するとき、失うことを恐れず、さまざまな風評に動かされず、どんなものにも囚われず、強く立つことが出来ます。(KE)
3月18日
「わたしは、自分を強くして下さったわたしたちの主キリスト・イエスに感謝する。」第一テモテ1:12a
人は弱いので、強くなろうと努力します。他人(ひと)の噂、死の恐れ、経済的な不足、嫌われることの恐れ、など、いろんなことで動かされ、ひとときも休まりません。しかし、あなたがキリストと共に十字架に死んだものとなりきって、主によって生かされていることを確信するとき、失うことを恐れず、さまざまな風評に動かされず、どんなものにも囚われず、強く立つことが出来ます。(KE)
3月17日
「しかし、まだ罪人であった時、わたしたちのためにキリストが死んで下さったことによって、神はわたしたちに対する愛を示されたのである。」ローマ5:8
わたしたちの事情・境遇の善し悪しによって神様の愛を知ることも、量ることもできません。ただ、十字架を立てて、罪を赦し、神様はあなたを御手に握って下さったことによって“愛”を示してくださいました。値打ちも、価値もない者のために、命を捨てて下さった愛、この愛を信じて、感動して、愛に応答して生きるとき、命と力が湧いてきます。(KE)
3月16日
「だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである。」第二コリント5:17
だれでも一度や二度、自分に失望落胆し、できれば死んでやり直したいと思うことがあります。しかし、そんなことは出来ないと思っています。実は、やり直せる道があるのです。その道は「キリストにあるならば」というのです。十字架に自分は死んだ者とし、イエス様によって今日も生かされていることを信じるのです。新しい命を体験することができます。(KE)
3月15日
「あなたがたのうち、だれが思いわずらったからとて、自分の寿命をわずかでも延ばすことができようか。」マタイ6:27
自分の事は自分が知っていると言いますが、人はそれほど賢いものでしょうか。なんでも「自分が」「自分が」と言いながら、自分の命すら延ばすこともできないのです。それは自分で生きているのではなく、神様の赦しがあって、生かされているからです。生きるのも死ぬのも、主のみ手にあります。だから、なにも心配しないで、主に任せようではありませんか。(KE)
3月14日
「主よ、わたしは知っています、人の道は自身によるのではなく、歩む人が、その歩みを自分で決めることのできないことを。」エレミヤ10:23
毎日の歩みを人は自分で選択して、実行しているように思っています。しかし、実際のところ、人の思い通りに進んでいるわけではありません。世間の動き、周囲の人との関係、経済的な理由、意固地になった思いなど、無数の要素に影響されているように見えます。しかし、全ての歩みは神様によって備えられたものであって、人はどんなにしてもそこから逃れることは出来ません。(KE)
3月13日
「人はその短く、むなしい命の日を影のように送るのに、何が人のために善であるかを知ることができよう。」伝道6:12a
神様が備えられた永遠の時間のなかで、人の一生はあまりにも短いものです。あなたの今日の一日は、神様の手に握られた永遠の時のほんの一コマにすぎません。今日という一日があなたにとって善かったか、悪かったかを決めることはできません。ジグソーパズルの小さなピースであり、欠くことのできないものです。ただ、今、力を尽くしてなし得ることを果たすだけです。結論を出されるのは神様です。(KE)
3月12日
「あなたは神と和らいで、平安を得るがよい。そうすれば幸福があなたに来るでしょう。」ヨブ22:21
カインは弟アベルの捧げものが神様に喜ばれ、自分のささげものは退けられたことで、アベルを殺しました。カインは神様のやり方に憤ったのです。その結果、罪のないアベルの死になりました。自分は不幸だと思っているとき、与えられた境遇や処遇を受け入れられないでいるとき、実は神様に対して怒っているときなのです。十字架によって与えられた和解を受けて、神様の手に委ね切るとき、あなたは幸福な者となります。(KE)
3月11日
「神のなされることは皆その時にかなって美しい。」伝道3:11a
物事にはタイミング、チャンスというべきものがあります。その時をはずすと滑稽だったり、相手に失礼であったり、周囲の人を不愉快にさせたりすることにもなります。仕事の上でも、家庭でのことでも、「時」にかなったときほど痛快なことはありません。しかし、人は自分の欲や感情、メンツやツッパリのために、「時」を逃すのです。最善のときを知っておられるのは神様だけです。神様の導きに従う以外、好機をつかむことはできません。(KE)
3月10日
「主ご自身、試錬を受けて苦しまれたからこそ、試錬の中にある者たちを助けることができるのである。」ヘブル2:18
イエス様は人に捨てられ、侮られ、裏切られるなど、人の受ける苦しみ、悩み、病、弱さをつぶさに実体験し、ついには罪人とされて、十字架の刑を受けられました。今、よみがえられた主は、信じるあなたと共に居てくださいます。そればかりか、あなたを助けることが出来る方です。躊躇しないで、また遠慮なく、切に主を呼び求めようではありませんか。主はあなたを助けたくて待っておられます。(KE)
3月9日
「イエスは女に言われた、『女よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか』。」ヨハネ20:15
イエス様を亡くして失望したマリヤはよみがえられた主を見ることができなくて、泣いていました。主は彼女に声をかけてくださいました。そのように、主は今も生きて、あなたのそばに立っておられます。望みを失い、悲しみにあるとき、泣かなくても良いのです。死に勝利した主を信じてください。主はあなたに新しい命を与え、喜び、感謝し、輝いて生きる者として下さいます。(KE)