6月18日
「ある日、神の子たちが来て、主の前に立った。サタンも来てその中にいた。」ヨブ1:6
不思議な言葉です。神様の前に集うものは、神様に選ばれた神の子たちばかりではありません。サタンもその中にいました。実は、サタンも神様の手の中にあり、神様の働きでもあります。サタンの働きを通して、神様はご自分の栄光を現そうとなさるのです。わたしたちの心にもサタンは働きかけて、神の子の身分から引き下ろそうとします。それによって神様はあなたの心を強め、神の子への道を切に求めるようにしておられます。(KE)
6月18日
「ある日、神の子たちが来て、主の前に立った。サタンも来てその中にいた。」ヨブ1:6
不思議な言葉です。神様の前に集うものは、神様に選ばれた神の子たちばかりではありません。サタンもその中にいました。実は、サタンも神様の手の中にあり、神様の働きでもあります。サタンの働きを通して、神様はご自分の栄光を現そうとなさるのです。わたしたちの心にもサタンは働きかけて、神の子の身分から引き下ろそうとします。それによって神様はあなたの心を強め、神の子への道を切に求めるようにしておられます。(KE)
6月17日
「御霊もまた同じように、弱いわたしたちを助けて下さる。なぜなら、わたしたちはどう祈ったらよいかわからないが、御霊みずから、言葉にあらわせない切なるうめきをもって、わたしたちのためにとりなして下さるからである。」ローマ8:26
祈ることすらできない失望、落胆、悲哀、苦悩の中にあっても、ただ一言、「主よ」と心を向けさえすれば、神様の霊、御霊はあなたの隠れた心の思いを知っておられ、父なる神様にとりなして(とりついで)下さいます。どんな時でも、主を呼び求めて下さい。(KE)
6月16日
「わが身とわが心とは衰える。しかし神はとこしえにわが心の力、わが嗣業である。」詩篇73:26
歳をとり、心身ともに衰えてくるとき、なお頼むべきものがある人はさいわいです。目に見えるものはすべて日々衰え、変化し、定まりがありません。しかし、神様を信頼して、神様を自分の力として生きる道があります。なぜなら、神様は永遠にわたって不変だからです。あなたもこの方を信じて、信頼してください。そうすれば、心も体もともに力と平安を得ることができます。(KE)
6月15日
「わたしは戦いをりっぱに戦いぬき、走るべき行程を走りつくし、信仰を守りとおした。」第二テモテ4:7
あなたが一日を、一年を、また生涯を終わるとき、このように言い切ることができるでしょうか。信仰に生きる生涯は平たんで楽な道ではありません。真剣に信仰に生きようとするとき、必ず戦いがあります。それはあなたの心のうちにある戦いです。神様を信頼し、その導きに委ねるのか、あるいはそうでないのか。神様の前に自らの態度を鮮明にして、信仰による勝利を得て下さい。(KE)
6月14日
「あなたのみ言葉はわが足のともしび、わが道の光です。」詩篇119:105
暗い夜道を歩くとき、足元を照らす光があると、心がやすまり、危険を避けることができます。この世の生活はまるで真っ暗な夜道を行くようなものです。次に何が起こるのか皆目分からず、まさに“一寸先は闇”の中に生きています。なんとか安心を得て、先を見通したいと、人の言葉や経験、世間の知恵に頼りますが、何も得ることができません。しかし、神様の言葉である聖書の言葉に信頼して、一歩を踏み出すと確かな手ごたえを感じます。(KE)
6月13日
「天が地よりも高いように、わが道は、あなたがたの道よりも高く、わが思いはあなたがたの思いよりも高い。」イザヤ55:9
神様と人との関係は造り主と造られたものですから、両者はまったく次元の違う存在、厳しい区別のある関係です。ですから、神様の思いを人は知り尽くすことができません。人は将来について夢を描き、計画を立て、想像をめぐらせますが、神様があなたに抱いている思いがなんであるかを知りえません。ただ、神様はあなたを愛して、最善な事をして下さると信じる。これが信仰です。(KE)
6月12日
「あなたがたの神、主に帰れ。主は恵みあり、あわれみあり、怒ることがおそく、いつくしみが豊かで、災を思いかえされるからである。」ヨエル2:13
神様はご愛にみちたお方です。造り主を忘れ、自分を神として傍若無人に振る舞う私たちを耐え忍んで、絶えず救いの手を差し伸べてくださっています。私たちの悩み、苦しみ、困難、失望などすべての災いは、私たちがへりくだった、悔いた心を抱いて神様に帰らなければ決して解決しません。どのような事の中であっても、まず主に帰ろうではありませんか。(KE)
6月11日
「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい。」ヨハネ8:7
罪を犯した現場で捕らえられた女性を糾弾する人々に対して、イエス様が語られた言葉。他者を非難するとき、人は自分を正しいとしているのです。しかし、たとえ同じ罪を犯していなくても、人は皆罪人であることに違いはありません。主がこの言葉によって語っているのは、裁く人たちの傲慢、高ぶりです。神様の憐みと赦しを受けている自分であることをどんなときにも忘れてはなりません。(KE)
6月10日
「慎んで、み言葉をおこなう者は栄える、主に寄り頼む者はさいわいである。」箴言16:20
聖書の言葉、すなわち聖言は神様から語られるあなたへのメッセージです。普段使っている言葉と違いはありませんが、神様からの言葉と信じて、御言葉によって促され、励まされ、いましめられ、正されるとき、その声に従う者は主から幸いな祝福を受けることができます。みことばを通して、人ははじめて神様と交わり、御心を悟り、心から神様を信頼することができるのです。謙虚になり、主の言葉に聞くものとなって下さい。(KE)
6月9日
しかし、風を見て恐ろしくなり、そしておぼれかけたので、彼は叫んで、『主よ、お助けください』と言った。」マタイ14:30
早朝、ガリラヤ湖でイエス様は水の上を歩いて弟子たちのいる舟に近づいてきました。そのとき、ペテロもイエス様の招きに応えて、舟から水の上に出ました。主の言葉を信じて、主に目を留めているとき、彼は不思議な体験をしました。水の上を歩いたのです。しかし、主から目をそらして周囲の状況を見たとき、沈みかけました。信仰に生きるとはこのように主の言葉に信頼して踏み出すことです。(KE)