6月8日
「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である。これに聞け。」マタイ17:5
父なる神様が弟子たちに語った言葉です。イエス様を「わたしの愛する子」と呼んで、この方に聞くようにと勧めて下さいました。あなたが信頼する相談役はどなたでしょうか。神様のみ子にまさる相談役はありません。いつでも、どこでも、「これに聞け」と言われます。遠慮なく、イエス様を呼び求めて、心の思いを全て打ち明けて、この方に聞こうではありませんか。時機を得た助けを与えて下さいます。(KE)
6月8日
「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である。これに聞け。」マタイ17:5
父なる神様が弟子たちに語った言葉です。イエス様を「わたしの愛する子」と呼んで、この方に聞くようにと勧めて下さいました。あなたが信頼する相談役はどなたでしょうか。神様のみ子にまさる相談役はありません。いつでも、どこでも、「これに聞け」と言われます。遠慮なく、イエス様を呼び求めて、心の思いを全て打ち明けて、この方に聞こうではありませんか。時機を得た助けを与えて下さいます。(KE)
6月7日
「そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。」第一コリント13:7
素晴らしい言葉ですが、誰がこれを行えるでしょうか。この言葉の初めに「愛は」とあります。それは人の愛ではできません。神様の愛による以外にありません。神様のみ子イエス様をあなたの罪の犠牲として十字架に下された神様の愛を信じて、その愛に感動し、励まされて生きるとき、忍・信・望・耐の四徳が全うされ、この御言葉はあなたのものとなります。限りない愛であなたを愛しておられる主を信じましょう。(KE)
6月6日
「神は、わたしたちをやみの力から救い出して、その愛する御子の支配下に移して下さった。」コロサイ1:13
神様が与えてくださる救いとはまさにこのことです。事情・境遇が良くなること、生活上のさまざまな問題が解決することも幸いですが、それは真の救いではありません。勿論、現実の生活も神様が備えて下さいますが、それ以上に、闇の力、罪へ誘う力から解放されて、イエス様の支配に入れられることです。今日も、主はあなたを導き、守り、支え、顧みて下さいます。主のご支配に委ねましょう。(KE)
6月5日
「あなたがたは立ち返って、落ち着いているならば救われ、穏やかにして信頼しているならば力を得る。」イザヤ30:15
突然、思いがけない事態に遭遇すると、人はうろたえ、慌てふためいて、なんとか解決の道はないものかと当惑します。その結果、とんでもないものに頼って、気がつくとさらに悲惨な事態へと悪化してしまいます。そうならないために、事が起こったとき、まず神様に立ち返り、心を落ち着かせて、主を求めて祈ってください。神様は必ず救いを現し、力を与えて下さいます。(KE)
6月4日
「主よ、わたしは知っています、人の道は自身によるのではなく、歩む人が、その歩みを自分で決めることのできないことを。」エレミヤ10:23
あなたは自分の歩みを自分で決めていると思っているのではないでしょうか。しかし、御言葉にあるように、その人の人生の道は神様によって備えられたものであり、日々の歩みも、主が定められたものです。神様は私たちの思い、思考、心も感情もすべてを知り尽くし、導かれます。自分の思い通り、願い通りにならないのは、神様がお許しにならないからです。(KE)
6月3日
「はじめに神は天と地とを創造された。」創世記1:1
天も地もなかったとき、ただ神様だけがおられたと語っています。森羅万象のすべては神様が存在して、はじめて“在る”ものとなっているのです。あなたという存在も、わたしという存在も、またそれを取り巻くすべてのものも、神様がいらっしゃらなければありえません。そればかりか、あなたの今日の一日すら、神様の存在と深くかかわった事態なのです。私たちの生活、そこで生起する全てが創造者の手にあることを覚えてください。(KE)
6月2日
「彼がのろうのは、主が彼に、『ダビデをのろえ』と言われたからであるならば、だれが、『あなたはどうしてこういうことをするのか』と言ってよいであろうか。」サムエル下16:10
信仰の人ダビデはどのような境遇・状況に置かれても、決して神様を疑いません。生きることのすべてが神様のみ手のなかにあることを徹底して信じました。息子アブサロムに反逆されたときも、シメイに罵詈雑言を投げられても、主の取り扱いにまったく委ねたのです。どのような中にあっても、今日も主の御手にあることを信じてください。(KE)
6月1日
「愚かで、悟りもなく、目があっても見えず、耳があっても聞えない民よ、これを聞け。主は言われる、あなたがたはわたしを恐れないのか、わたしの前におののかないのか。」エレミヤ5:21-22a
昨今の世情を見るとき、これが人のすることだろうかと、唖然とすることが多くなってきました。“犬畜生にも劣る”などといいますが、比べられる犬の方が気の毒なくらいです。それは万物を創造し、支配し、裁かれる絶対者なる神様を畏れる心が失われているからです。罪のゆえに呪われた姿ではないでしょうか。(KE)
5月31日
「愛する者たちよ。もし心に責められるようなことがなければ、わたしたちは神に対して確信を持つことができる。」第一ヨハネ3:21
心に安心を得る一つの道は、悔やむ思い、非難する思いを持たないことです。そのためには、心になにかわだかまるもの、「それでいいのか」と責められる思いを神様の前に「ごめんなさい」と悔い改めることです。主の御前に潔くなることができれば、あなたの心に平安が満ちてきます。主が促して下さる悔い改めの時を逃さないで、主の赦しと全き平安を得て下さい。(KE)
5月30日
「安息日を覚えて、これを聖とせよ。」出エジプト20:8
神様は天地万物を創造されたとき、七日目にすべてのわざを休まれたことから、神様の安息を共に分かつことによって創造のみわざに加わっていることを確認するのです。この日を他の日と区別して主の日として取り分けることが「聖」とすることです。現在の日曜日はイエス様の復活を記念して「主の日」として取り分けますが、主のご復活によって真の意味で「安息」が成就された日でもあります。復活の主の臨在に触れ、神様の安息に入れていただきましょう。(KE)