1月23日
「シモンは答えて言った、『先生、わたしたちは夜通し働きましたが、何も取れませんでした。しかし、お言葉ですから、網をおろしてみましょう』。」ルカ5:5
イエス様はペテロに網をおろして漁をしなさいと言われました。彼は主の言葉を信じて、その通りにしたところ、驚くほどの魚が獲れたのです。結果が分かっていて従うのは易しいことですが、漁師でもない人の唐突な言葉に従うには勇気がいります。状況がどうであれ、あなたも主の言葉に従って、驚くべき結果を得て下さい。(KE)
1月23日
「シモンは答えて言った、『先生、わたしたちは夜通し働きましたが、何も取れませんでした。しかし、お言葉ですから、網をおろしてみましょう』。」ルカ5:5
イエス様はペテロに網をおろして漁をしなさいと言われました。彼は主の言葉を信じて、その通りにしたところ、驚くほどの魚が獲れたのです。結果が分かっていて従うのは易しいことですが、漁師でもない人の唐突な言葉に従うには勇気がいります。状況がどうであれ、あなたも主の言葉に従って、驚くべき結果を得て下さい。(KE)
1月22日
「『基が取りこわされるならば、正しい者は何をなし得ようか』と。」詩篇11:3
どんなことにも基礎となるものがあります。きちんとした結果を得るにはそれにふさわしい基礎を据えなければ得られません。人生もまた同様です。人の一生は毎日の積み重ねでできています。積み木のように、積み上げていくには、しっかりとした土台、狂いのない基礎が築かれねば、やがて時が経つにつれて、崩れてしまいます。正しく生きることができません。みことばこそ、人生の基礎であり、土台です。ここにしっかり立ってください。(KE)
1月21日
「全地よ、主に向かって歌え。日ごとにその救を宣べ伝えよ。」歴代上16:23
神様の救い、恵みは、何か特別な事態や事件がある場合だけではありません。また、それは希に起こるようなものでもありません。今日、あなたが生かされ、一日のわざをなし得ること自体が、神様の救いであり、恵みだからです。そのことに、どれほど感謝しているでしょうか。当たり前のことと思っていませんか。毎日、毎日が、神様の救いと恵みに生かされているのです。感謝が薄れて、不平不満、つぶやくなら、恵みの一日が腐ったものになります。(KE)
1月20日
「わたしは知ります、あなたはすべての事をなすことができ、またいかなるおぼしめしでも、あなたにできないことはないことを。」ヨブ42:2
義人ヨブはどうしてこんな苦難を受けなければならないかと、悶々として悩みます。「なぜ?」と問い続けるヨブを、神様は質問攻めにします。彼はまったく答えることができません。ついに、彼は、神様は全能者であり、どんなことでも自由にする権威があると認めました。「どうして?」と問うとき、あなたは神様のなさることを許せないと思っているのです。(KE)
1月19日
「もし人が、自分は何か知っていると思うなら、その人は、知らなければならないほどの事すら、まだ知っていない。」第一コリント8:2
人は無意識のうちに知ったかぶりをします。知らないことが暴露されたら、馬鹿にされると思うからです。しかし、神様は天から見ておられて、そのような私たちを笑っておられるでしょう。知らないことを素直に認めて、教えを乞うことのほうが恵まれています。自分は無知であると悟り、知りたいとの願いを持ち、へりくだって求めるなら、その人は大いなる財産を手に入れるようなものです。(KE)
1月18日
「肉の思いは死であるが、霊の思いは、いのちと平安とである。」ローマ8:6
生まれながらの情欲や感情、自我の激しい要求などを「肉の思い」と言われます。一方、内に宿っておられる聖霊は私たちの思いを、神様の思いや願いに導かれます。同じことをするにも、肉の思いに駆られてする場合と、聖霊が導いておられると信じてする場合とでは心の状態がまったく違います。感情や情動によらず、主のみ心を信じて歩むとき、そこには感謝と喜び、平安と望みがあります。主のみ心を祈りつつ進んでください。(KE)
1月16日
「イエスは彼に言われた、『起きて、あなたの床を取りあげ、そして歩きなさい』。」ヨハネ5:8
38年間も病に罹り、ベテスダの池の水が動くのを待ち続けた人にイエス様が命じた言葉です。彼は長年こうならなければ病気は癒されないと、頑なに信じて、待ち続けたのです。イエス様にも自分の思いが達せられるよう助力を求めましたが、主は彼の思いの殻を打ち破って起きて歩けと言われたのです。人は自分の思いや考え、過去の経験、人の言葉などに囚われ、固定観念に支配されますが、イエス様はそこから救い出して下さいます。(KE)
1月15日
「よくよくあなたがたに言っておく。一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる。」ヨハネ12:24
“一粒万倍”と言われるように、植物の種は撒かれると何十倍にも増えます。そのためには地に撒かれねばなりません。埋められ、地熱と水分で分解され、元の姿形が消えるとき、新しい芽が生まれます。種のままであることに固守するときいつまでも変わりません。自分を無にして神様の手に落ち込んでしまうと、あなたも豊かな実を結びます。(KE)
1月14日
「イエスは言われた、『石を取りのけなさい』。」ヨハネ11:39a
イエス様の親しい友人であったラザロが亡くなりました。墓に来たイエス様は「石を取りのけなさい」と言われましたが、人々は4日も経っているからと躊躇しました。イエス様の言葉を信じて石を取るかどうかは、まさに信仰の試練です。見える状態がどうであれ、主の言葉を信じるのが信仰です。無理だ、不可能だ、出来ないと決めてかかるなら、不信仰の“石”はいつまでもそのままです。イエス様を信じて従うとき、信仰の結果を見るのです。(KE)
1月13日
「われわれはみな羊のように迷って、おのおの自分の道に向かって行った。主はわれわれすべての者の不義を、彼の上におかれた。」イザヤ53:6
私たちは、正しい道を歩むように神様から造られた者です。しかし、罪のゆえに迷って勝手な道を進んでいました。神無き世、闇の中にいたのですが、神様はイエス様を遣わして、私たちの不義を彼に負わせて十字架に掛け、罪を清めて下さったのです。この十字架が無ければ、命がありません。今日も、主の死に生かされていることを心から感謝しようではありませんか。(KE)