2月12日
「主よ、わが終りと、わが日の数のどれほどであるかをわたしに知らせ、わが命のいかにはかないかを知らせてください。」詩篇39:4
この世にあって生きる命はいつまでも続くわけではありません。必ず、終わる時がきます。しかし、その時がいつであるか分からないのです。そのために、人はいつまでも世にあるかのように思い、油断します。いつ、その時が来ようとも、心穏やかに、望みを持ちつつ、主のみ許に帰れるように、日々、備えようではありませんか。(KE)
2月12日
「主よ、わが終りと、わが日の数のどれほどであるかをわたしに知らせ、わが命のいかにはかないかを知らせてください。」詩篇39:4
この世にあって生きる命はいつまでも続くわけではありません。必ず、終わる時がきます。しかし、その時がいつであるか分からないのです。そのために、人はいつまでも世にあるかのように思い、油断します。いつ、その時が来ようとも、心穏やかに、望みを持ちつつ、主のみ許に帰れるように、日々、備えようではありませんか。(KE)
2月11日
「丈夫な人には医者はいらない。いるのは病人である。」マタイ9:12
確かに、医者を必要とするのは病気の人です。自分が病んでいることを自覚し、治りたいと願う人が医者のところへ行きます。その自覚がない人はいくら病んでいても医者を求めません。同様に、神様を求める人は自分の罪を知り、弱さを認める人です。自分を省みて、不安や恐れ、怒りやつぶやきなどに満たされているなら、それは罪の結果であることを認めて、イエス様を求めて、平安と望み、愛と喜びを取り戻そうではありませんか。(KE)
2月10日
「その罪を隠す者は栄えることがない、言い表してこれを離れる者は、あわれみをうける。」箴言28:13
心ひそかにやましい思いを持つ限り、その人には安心がなく、満足もありません。恐れによって心が弱ります。たとえ誰にもわからないと思っても、心に指差しを受けるようなことがあるなら、神様に祈って告白し、主の十字架の赦しを信じてください。そうするとき、神様からの憐みを受け、心は平安と喜び、感謝に溢れ、心が軽やかになります。また、主はあなたの手のわざを祝福して、豊かに恵んでくださいます。(KE)
2月9日
「何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心から働きなさい。」コロサイ3:23
今日一日のあなたのわざは誰のためにあるのでしょうか。自分のためだと言うでしょう。あるいは家族でしょうか。しかし、人の生き甲斐は自分や誰彼のために生きることではありません。事の大小を問わず、神様への捧げものとして生きることです。仕事にしろ、遊びにしろ、家事であっても、主のみこころを信じて、主のためにするのです。神様はその労苦に報いてくださいます。(KE)
2月8日
「思うべき限度を越えて思いあがることなく、むしろ、神が各自に分け与えられた信仰の量りにしたがって、慎み深く思うべきである。」ローマ12:3b
自分の「分」を知ることは神様を畏れることです。人それぞれに与えられた使命、役割、責任などがあります。自分の分を知り、それを大切に守ることは他者の領域を尊ぶことにもなります。神様が与えられたあなたの「分」には貴賤上下の区別はありません。誇りを持って、慎み深く、自分の「分」をわきまえ、それを果たしましょう。周囲の人たちと比べる必要はありません。(KE)
2月7日
「多く与えられた者からは多く求められ、多く任された者からは更に多く要求されるのである。」ルカ12:48b
人間は全て「平等」だと言います。またそれが正義だと思われますが、必ずしもそうではありません。むしろ、一律に同じ扱いをするのは「悪平等」です。神様は一人ひとり、その人の量りに従って取り扱われます。神様はあなたに期待するところが多ければ多いほど、求められることも大きくなります。今日も主はあなたに何を求められますか。大いに期待されています。(KE)
2月6日
「罪を犯す魂は死ぬ。子は父の悪を負わない。父は子の悪を負わない。義人の義はその人に帰し、悪人の悪はその人に帰する。」エゼキエル18:20
神様が問われるのはひとりひとりの行動と責任です。誰彼のせいにすること、境遇や状況が原因だと逃げるわけにはいきません。ましてや流行や世間に流されてすることも、結果は全てあなたに帰するのです。個人としての歩みが結果となります。私たちは創造者なる神様に対して責任を果たすのです。神様の前に独りで立っていることを自覚して、自らの行動に心しておきましょう。(KE)
2月5日
「しかし主を待ち望む者は新たなる力を得、わしのように翼をはって、のぼることができる。走っても疲れることなく、歩いても弱ることはない。」イザヤ40:31
人は生きているかぎり疲れたり弱ったりします。殊に、心が萎えて力を失うとき、何によって力を得ることができるでしょうか。五感を楽しませる物質的なものなど全く役にたちません。ただ、神様に思いを向け、望みを置くとき、あなたのうちに力が満ちてきます。み言葉をかみしめ、祈り、主に信頼することこそ力です。(KE)
2月4日
「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい。」ヨハネ8:7
イエス様が絶えず問われるのは、他人(ひと)のことではなく、あなたはどうなのかということです。とかく、人は自分のことを棚に上げて、他人のことをあれこれとあげつらいます。しかし、それよりもまず自分自身のことを神様の前に整えておくべきなのです。あなた自身が罪を赦され、神様の憐みに生かされているのですから、他人について何も言う資格はありません。(KE)
2月3日
「わたしは神に信頼するゆえ、恐れることはありません。人はわたしに何をなし得ましょうか。」詩篇56:11
このみ言葉のように確信を持って言い得る人はどんなに幸いなことでしょうか。弱くて、脆い私たちが恐れなく強く生きる力は、神様に信頼する以外にありません。確かに、経済力、医療、家柄や学歴などは安心を与えるかのように見えますが、やがて必ず行き詰るときがきます。また、どのような力も神様を越えるものはありません。主は今日も十字架を示して、“安心しなさい”“私に信頼しなさい”と招いておられます。(KE)