4月9日
「わたしは、なんというみじめな人間なのだろう。だれが、この死のからだから、わたしを救ってくれるだろうか。」ローマ7:24
自分に失望することはあっても、絶望することはなかなか無いものです。どこかで、わずかでも自分を肯定しようとするものです。自尊心を持つようにと勧められますが、真の自尊心は徹底的な自己否定から始まり、神様の「よし」とされる全面的な肯定を素直に受け入れ、改めてありのままなる自分を認めることによるのです。御子の命を代価としてあがなわれた尊いあなたなのです。(KE)
4月9日
「わたしは、なんというみじめな人間なのだろう。だれが、この死のからだから、わたしを救ってくれるだろうか。」ローマ7:24
自分に失望することはあっても、絶望することはなかなか無いものです。どこかで、わずかでも自分を肯定しようとするものです。自尊心を持つようにと勧められますが、真の自尊心は徹底的な自己否定から始まり、神様の「よし」とされる全面的な肯定を素直に受け入れ、改めてありのままなる自分を認めることによるのです。御子の命を代価としてあがなわれた尊いあなたなのです。(KE)
4月8日
「しかし、あなたに対して責むべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。」黙示録2:4
どんなことにも初めがあります。生まれたとき、入学したとき、就職したとき、結婚したときなど、その最初は喜びと感激で始まるものです。しかし、時間が経つにつれて、初めの思い、感激は薄らいできます。そのことに慣れて、新鮮な感覚を忘れてしまうからです。その結果、心を欠いた形だけのわざとなります。信仰においても同様です。初心に帰って謙遜になり、神様のご愛を深く新鮮に感じる心となってください。(KE)
4月7日
「主にあっては、あなたがたの労苦がむだになることはないと、あなたがたは知っているからである。」第一コリント15:58c
今日、あなたは誰のために生きようとしていますか。自分のため、家族のためでしょうか? 実は、私たちはみな神様のために生きる者として造られたのです。いま自分は神様のためにこのことをしていると信じるとき、神様からの報いを頂くことができます。たとえ、誰にも認められない小さなわざであっても、主はご存知です。あなたの労苦に報いてくださいます。(KE)
4月6日
「わが思いは、あなたがたの思いとは異なり、わが道は、あなたがたの道とは異なっていると主は言われる。」イザヤ55:8
神様が抱いておられる思い、ご計画は、私たちのそれとまったく異なったものです。神様は過去、現在、未来にわたって見通すことができますが、人は「今」という時しか見えないからです。私たちはその瞬間、瞬間に見えるところにとらわれ、心を動かされ、思い煩うのです。主はあなたが思うよりも、あなたの計画よりも、はるかに素晴らしいことを備えておられます。(KE)
4月5日
「見よ、今は恵みの時、見よ、今は救の日である。」第二コリント6:2b
私たちに与えられた確かな時は「今」という時以外にありません。「過去」は文字通り過ぎ去って、今からでは何もできません。巻き戻してやり直すこともできません。「未来」はあるようで無い時間、未知なるものですから、確かなものとはいえません。そうなると、私たちの手に握れるのは「今」の時ですから、「今」をどのように生きるかが大切になります。今、困難や悩みの中にあろうとも、「恵み」の時、「救い」の日であると信じてください。(KE)
4月4日
「ご自身の御子をさえ惜しまないで、わたしたちすべての者のために死に渡されたかたが、どうして、御子のみならず万物をも賜わらないことがあろうか。」ローマ8:32
父なる神様は愛するひとり子をこの世に送って、罪の贖いの犠牲となさいました。それほどに大きな愛をあなたに注いでくださったのです。だからこそ、神様はあなたの願いや必要を拒まれることがあるでしょうか。神様にとって、御子以上に惜しむべきものがほかにあるでしょうか。どうぞ、主のご愛を確信して祈りましょう。(KE)
4月3日
「平穏であって、ひとかたまりのかわいたパンのあるのは、争いがあって、食物の豊かな家にまさる。」箴言17:1
「衣食足りて礼節を知る」と言いますが、今の日本はどうでしょうか?物質的な豊かさは心の安らぎにはなりません。心の平安を得るには自分の思いわずらいを神様に委ねる以外にありません。自分の自我に根差した欲得から離れなければ、平安を得ることができないからです。そのためにはイエス様と共に十字架に死んだ者となって生きることです。(KE)
4月2日
「わたしは光をつくり、また暗きを創造し、繁栄をつくり、またわざわいを創造する。わたしは主である、すべてこれらの事をなす者である。」イザヤ45:7
神様を信じるとは、あなたの存在、生きている自分が見えない神様の手に導かれ、支えられていることを認めることです。また、自分の身に及ぶすべてのこと(善し悪しともに)が、神様から出ていることを認めることです。不幸と思われることも、神様のわざであることを信じるとき、感謝することができます。どんなことも神様によらないものはありません。(KE)
4月1日
「全地よ、主に向かって歌え。日ごとにその救を宣べ伝えよ。」歴代上16:23
神様の救い、恵みは、なにか特別な事態や事件がある場合だけではありません。また、それは希に起こるようなものでもありません。今日、あなたが生かされ、一日のわざをなし得ること自体が神様の救いにより、恵みによるのです。そのことにどれほど感謝しているでしょうか。当たり前のことと思っていませんか。毎日、毎日が、神様の救いと恵みによるものであることを覚えて、すべてのことを感謝しましょう。(KE)
3月31日
「時は満ちた、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ。」マルコ1:15
農作物の収穫にはそれぞれの時機があります。その時に適うことが最善の結果を得る道です。イエス様の救いに出会うのも、同様に時があります。主は今がその時だと、あなたに語ってくださいます。神様を忘れ、離れた生活から、悔い改めて神様の許へ立ち返りましょう。「福音」を信じるとは神様があなたを赦して、ご自分のところに招いて下さったことを信じることです。自分を主の手に委ねて、新しい命に生きようではありませんか。(KE)