10月1日
「ダビデはナタンに言った、『わたしは主に罪をおかしました』。」サムエル記下12:13a
名君ダビデが忠臣なる部下、ウリヤを激戦の地で殺し、その妻を奪うという罪をおかしました。預言者ナタンに罪を指摘されたとき、彼は神様の前に罪を認め、悔い改めました。悪を行って危害を加えた相手に「悪かった」と悔いることはしますが、神様に対する責任を認めて悔い改めなければ、心から赦された喜びを受けることはできません。人に謝罪するだけでなく、神様の赦しを求めねばなりません。(KE)
10月1日
「ダビデはナタンに言った、『わたしは主に罪をおかしました』。」サムエル記下12:13a
名君ダビデが忠臣なる部下、ウリヤを激戦の地で殺し、その妻を奪うという罪をおかしました。預言者ナタンに罪を指摘されたとき、彼は神様の前に罪を認め、悔い改めました。悪を行って危害を加えた相手に「悪かった」と悔いることはしますが、神様に対する責任を認めて悔い改めなければ、心から赦された喜びを受けることはできません。人に謝罪するだけでなく、神様の赦しを求めねばなりません。(KE)
9月30日
「あなたがたの中に、罪の惑わしに陥って、心をかたくなにする者がないように、『きょう』といううちに、日々、互に励まし合いなさい。」ヘブル3:13
素直で従順な心を持つことは単純で愚かな人と思われるのを恐れて、つい心にもなく、片意地になります。そのため、人間関係は複雑になり、軋轢が生まれ、息苦しくなるのです。神様に対しても同様です。主があなたの心に語りかけてくださるとき、素直に“ハイ”と従おうではありませんか。(KE)
9月29日
「わたしは、あなたのすべてのみわざを思い、あなたの力あるみわざを深く思う。」詩篇77:12
今年もはや10月となり、新しい旅路が始まります。期待と不安とが交錯します。しかし、過ぎてきた日々もあなたの思いと考え、計画と努力で過ごしてきたわけではありません。あなたの思うところをはるかに超えた事態の中を通ってきました。それは神様のなさる業の中にあったからです。これからも、あなたの一日を造り、持ち運び、驚くわざをしてくださいます。主のなさるわざを待ち望みましょう。(KE)
9月28日
「主ご自身、試錬を受けて苦しまれたからこそ、試錬の中にある者たちを助けることができるのである。」ヘブル2:18
イエス様は人の世に降ってくださいました。それによって、私たちの悩みや苦しみを共有し、思いやることができるようになるからです。主も同じ試練を受けられたゆえに私たちの祈りを真実にとりなして下さいます。また、それゆえに同じ試練にある私たちも大きな慰めを受けます。今日も、あなたのそばにいらっしゃる主は、共に喜び、共に涙してくださるのです。(KE)
9月27日
「わが岩、わがあがないぬしなる主よ、どうか、わたしの口の言葉と、心の思いがあなたの前に喜ばれますように。」詩篇19:14
あなたはだれに喜ばれようとしていますか。あなたの言葉や行動が神様に受け入れられるかどうかを基準にしているなら、まことに幸いなことです。また、それが人としての生き方です。人に喜ばれたり、世間の流れに従っている限り、正しい生き方をまっとうすることができません。今日も、言葉と思いが神様に喜ばれるようにと祈りましょう。(KE)
9月26日
「空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。」マタイ6:26
自分の力と努力で生きていると思うなら、大間違いです。今日も天にいます父なる神様はあなたを養ってくださいます。ですから、何を思い煩うことがあるでしょうか。親が子を養うようにあなたの必要をすべて知っておられます。この言葉に続いて、あなたがたは彼ら(鳥)よりも、はるかにすぐれた者ではないかと語られています。(KE)
9月25日
「それだから、キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。」第二コリント12:9b
自分の弱さを認めることは敗者になるわけではありません。むしろ、弱さを知る者ほど、強い者はいません。それ以上弱くなれないのですから。さらに、高慢にならず、謙遜になり、神様の前に自分を低くすることができます。その結果、神様の力を受け、自分のものではない力が現れるのです。弱さ、欠点、不足を感じるなら、感謝しようではありませんか。
9月24日
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。」第一テサロニケ5:16-18a
幸いになる秘訣が三つありますが、その中でも要(かなめ)となるのが“祈り”です。喜べないことがあるとき、祈ってください。やがて喜びにかわります。また、感謝できないとき、祈ってください。感謝があふれてきます。このように“祈り”こそが、あなたに幸いをもたらす秘密のキーワードです。いつも喜んでおれる人は祈りの人です。その人はまたどんなことでも感謝できます。(KE)
「あなたの天幕の場所を広くし、あなたのすまいの幕を張りひろげ、惜しむことなく、あなたの綱を長くし、あなたの杭を強固にせよ。」イザヤ54:2
自分の持っている能力、財力などをあれこれと考えて、これが限界、これ以上は無理だと決めてしまいます。確かに、現実に足をつけて歩むことが堅実な生き方といわれますが、信仰に立って歩む道はそうではありません。荒唐無稽な現実離れをした夢を描くわけではなく、神様の力と知恵に期待して、“であるがしかし” と信じて踏み出すのです。(KE)
9月22日
「主なる神はこれらの骨にこう言われる、見よ、わたしはあなたがたのうちに息を入れて、あなたがたを生かす。」エゼキエル37:5
人が生きるのは肉体やそれを支える生活があるからではありません。確かに、それらも別の意味で「いのち」と言いますが、本当の命は神様から注がれます。それはみ言葉を通して与えられるものです。キリストのことばをこころに受け入れ、信じるとき、命が注がれ、血がかよい、力に満ちて、望みを抱いて輝くことができます。なんと枯れた骨が生きる者となるのです。(KE)