3月9日
「イエスは女に言われた、『女よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか』。」ヨハネ20:15
イエス様を亡くして失望したマリヤはよみがえられた主を見ることができなくて、泣いていました。主は彼女に声をかけてくださいました。そのように、主は今も生きて、あなたのそばに立っておられます。望みを失い、悲しみにあるとき、泣かなくても良いのです。死に勝利した主を信じてください。主はあなたに新しい命を与え、喜び、感謝し、輝いて生きる者として下さいます。(KE)
3月9日
「イエスは女に言われた、『女よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか』。」ヨハネ20:15
イエス様を亡くして失望したマリヤはよみがえられた主を見ることができなくて、泣いていました。主は彼女に声をかけてくださいました。そのように、主は今も生きて、あなたのそばに立っておられます。望みを失い、悲しみにあるとき、泣かなくても良いのです。死に勝利した主を信じてください。主はあなたに新しい命を与え、喜び、感謝し、輝いて生きる者として下さいます。(KE)
3月8日
「シモンが言った、『主よ、わたしは獄にでも、また死に至るまでも、あなたとご一緒に行く覚悟です』。」ルカ22:33
弟子ペテロはイエス様の十字架の死を目前に、勇ましく宣言しましたが、自分の命が危うくなると、一転して主を知らぬと否定します。人の覚悟、決心などは、まことに弱く、脆いものです。ペテロの不真実を誰も責めることはできません。主の深く、大きな愛に触れて、後にペテロはキリストのために殉教する者となりました。神様の愛に満たされるとき、人は全く変わります。(KE)
3月7日
「そのとき、イエスは言われた、『父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです』。」ルカ23:34
イエス様がご自分を十字架に釘づける者たちのために祈る取り成しの祈りです。これは昔のことではありません。神様を畏れず、自分を神として、怒りとつぶやき、神様すら呪うあなたのための祈りでもあります。イエス様が十字架で受けられた刑罰はあなたに向けられた神様の怒りと罰であり、主はご自分の命を賭して身代わりとなったのです。今日も、主の取り成しによって赦されているのです。(KE)
3月6日
「イエスは彼に答えて言われた、『わたしのしていることは今あなたにはわからないが、あとでわかるようになるだろう』。」ヨハネ13:7
すべての事は神様の創造の結果であり、そのわざです。人生のさまざまな事態や事件、すべての事の目的や意味がわからないことばかりです。それは人の計画と知恵によるのではなく、神様の思い、考え、計画によるものであり、私たちは知り尽くせないからです。しかし、今そのわけがわからなくても、神様は最善をしてくださると信じていくとき、やがて主の深いみ旨を悟り、感謝することでしょう。(KE)
3月5日
「生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられるのである。」ガラテヤ2:20
力に満ちた言葉です。自分で生きるのではありません。キリストによって生かされるのです。主の十字架の死を自分がそこに死んだと信じるとき、今、生きているのが自分ではなく、よみがえったイエス様がわたしを生かして下さっていると確信します。主に生かされていることを信じるとき、恐れ、不安、失望、悲しみなど、“わたし”が感じていたものは消えてしまいます。わたしは死んだのですから。(KE)
3月4日
「よくよくあなたがたに言っておく。一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる。」ヨハネ12:24
麦の種が地に埋められ、分解して、その種としての姿形が失われるとき、新しい芽が生え、成長して実を豊かに結ぶようになります。イエス様が十字架に死んでくださったのは、信じるあなたが死んだことなのです。主を信じて生きるとき、もはや自分が生きるのではなく、新しい命に生かされているのです。(KE)
3月3日
「主は正義と公平とを愛される。地は主のいつくしみで満ちている。」詩篇33:5
現実の世界を見ると、この言葉に疑いを抱かざるを得ません。どこに「正義と公平」が、「いつくしみ」があるでしょうか。確かに、見える状況や境遇はその通りですが、神様を信じるとは、まさにその現実の中に主が働いておられると信じ続けることです。主のわざの結果は、今見ることができなくても、やがてあきらかにされます。それを先取りして、「いつくしみ」が満ちていると確信するのです。(KE)
3月2日
「苦しみにあったことは、わたしに良い事です。これによってわたしはあなたのおきてを学ぶことができました。」詩篇119:71
苦しみや悩み、困難に出会うことはイヤなことです。しかし、現実には避けて通ることができません。一体、なぜそのような艱難を受けるのでしょうか。無意味で、無駄で、役に立たない時間を過ごすように思われますが決してそうではありません。神様は測り知れないご配慮を持ってその中を通しておられるのです。やがて、良かったと言えるように、神様は導かれます。そう信じるのが信仰です。(KE)
3月1日
「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。」ヨハネ3:16
「この世」とはあなたのことです。神様は御子イエス様をあなたの罪の代償としてベツレヘムの馬小屋に生まれさせたのです。イエス様をあなたの救い主、主であると信じるとき、永遠の命に生きることができます。十字架のゆえに、あなたは今日赦されて生かされています。御子の命が注がれた尊い存在である自分を感謝しましょう。(KE)
2月28日
「もし最初の確信を、最後までしっかりと持ち続けるならば、わたしたちはキリストにあずかる者となるのである。」ヘブル3:14
人生に卒業や定年はありません。生きている限り続くものです。同様に、神様を信じて生きる信仰生活も死ぬまで続くものですし、また続けなければ価値がありません。生涯を通して、一つの生き方を貫くことは容易ではありませんが、その結果は測り知れない祝福に満ちたものです。どのような困難にも負けないで、信仰に生きる生涯をまっとうしてください。永遠の命を獲得することができます。(KE)