私たちの手に握れるのは「今」の時です

4月5日

「見よ、今は恵みの時、見よ、今は救の日である。」第二コリント6:2b

 私たちに与えられた確かな時は「今」という時以外にありません。「過去」は文字通り過ぎ去って、今からでは何もできません。巻き戻してやり直すこともできません。「未来」はあるようで無い時間、未知なるものですから、確かなものとはいえません。そうなると、私たちの手に握れるのは「今」の時ですから、「今」をどのように生きるかが大切になります。今、困難や悩みの中にあろうとも、「恵み」の時、「救い」の日であると信じてください。(KE)

それほどに大きな愛をあなたに注いでくださったのです

4月4日

「ご自身の御子をさえ惜しまないで、わたしたちすべての者のために死に渡されたかたが、どうして、御子のみならず万物をも賜わらないことがあろうか。」ローマ8:32

 父なる神様は愛するひとり子をこの世に送って、罪の贖いの犠牲となさいました。それほどに大きな愛をあなたに注いでくださったのです。だからこそ、神様はあなたの願いや必要を拒まれることがあるでしょうか。神様にとって、御子以上に惜しむべきものがほかにあるでしょうか。どうぞ、主のご愛を確信して祈りましょう。(KE)

心の平安を得るには自分の思いわずらいを神様に委ねる以外にありません

4月3日

「平穏であって、ひとかたまりのかわいたパンのあるのは、争いがあって、食物の豊かな家にまさる。」箴言17:1

 「衣食足りて礼節を知る」と言いますが、今の日本はどうでしょうか?物質的な豊かさは心の安らぎにはなりません。心の平安を得るには自分の思いわずらいを神様に委ねる以外にありません。自分の自我に根差した欲得から離れなければ、平安を得ることができないからです。そのためにはイエス様と共に十字架に死んだ者となって生きることです。(KE)

すべてのこと(善し悪しともに)が、神様から出ていることを認めることです

4月2日

「わたしは光をつくり、また暗きを創造し、繁栄をつくり、またわざわいを創造する。わたしは主である、すべてこれらの事をなす者である。」イザヤ45:7

 神様を信じるとは、あなたの存在、生きている自分が見えない神様の手に導かれ、支えられていることを認めることです。また、自分の身に及ぶすべてのこと(善し悪しともに)が、神様から出ていることを認めることです。不幸と思われることも、神様のわざであることを信じるとき、感謝することができます。どんなことも神様によらないものはありません。(KE)

あなたが生かされ、一日のわざをなし得ること自体が神様の救いにより、恵みによるのです

4月1日

「全地よ、主に向かって歌え。日ごとにその救を宣べ伝えよ。」歴代上16:23

 神様の救い、恵みは、なにか特別な事態や事件がある場合だけではありません。また、それは希に起こるようなものでもありません。今日、あなたが生かされ、一日のわざをなし得ること自体が神様の救いにより、恵みによるのです。そのことにどれほど感謝しているでしょうか。当たり前のことと思っていませんか。毎日、毎日が、神様の救いと恵みによるものであることを覚えて、すべてのことを感謝しましょう。(KE)

神様があなたを赦して、ご自分のところに招いて下さったことを信じることです

3月31日

「時は満ちた、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ。」マルコ1:15

 農作物の収穫にはそれぞれの時機があります。その時に適うことが最善の結果を得る道です。イエス様の救いに出会うのも、同様に時があります。主は今がその時だと、あなたに語ってくださいます。神様を忘れ、離れた生活から、悔い改めて神様の許へ立ち返りましょう。「福音」を信じるとは神様があなたを赦して、ご自分のところに招いて下さったことを信じることです。自分を主の手に委ねて、新しい命に生きようではありませんか。(KE)

あなたは神様のなさることを許せないと思っているからです

3月30日

「わたしは知ります、あなたはすべての事をなすことができ、またいかなるおぼしめしでも、あなたにできないことはないことを。」ヨブ42:2

 義人ヨブはどうしてこのような苦難を受けなければならないのかと、悶々として悩みます。「なぜ」と問い続けるヨブを神様は質問攻めにします。ついに彼は神様が全能者であり、どんなことでも自由にする権能があることを認めました。「どうして?」と問うとき、あなたは神様のなさることを許せないと思っているからです。良きも悪しきも全て神様の手にあるのです。(KE)

神様の光を受けてあなたが輝くとき、人を照らすものとなります

3月29日

「あなたがたは、世の光である。山の上にある町は隠れることができない。」マタイ5:14

 光は慰め、平安、望みを与えてくれます。神様はあなたをそのような光として世において下さっています。しかし、私たちには光がありません。ただ、月が太陽の光を受けて輝き照らすように、神様の光を受けてあなたが輝くとき、人を照らすものとなります。暗闇に覆われた世にあって輝くあなたによって慰め、励まされる人がたくさんいます。受けた光を隠したり消したりしないで、一隅を照らす者となってください。(KE)

人の計算やはかりごとを越えた神様のみ手が背後にあるからです

3月28日

「物惜しみしない者は富み、人を潤す者は自分も潤される。」箴言11:25

 人は豊かに富み栄えようとして、失うこと、出すことを嫌います。10から5を引くと、結果は5だとしか考えられないのです。しかし、実はそうではありません。人の計算やはかりごとを越えた神様のみ手が背後にあるからです。神様の手にかかれば、無から有を生じさせることが出来ます。人の世でありながら、神様の手によって導かれていること、また報いて下さることを忘れてはなりません。あなたの想像を超えた主の祝福を体験してください。(KE)

これを認めなければ神様を信じることはできません

3月27日

「ああ人よ、あなたは、神に言い逆らうとは、いったい、何者なのか。造られたものが造った者に向かって、『なぜ、わたしをこのように造ったのか』と言うことがあろうか。」ローマ9:20

 神様と人は創造者と被造物との関係であって、これを変えることは出来ません。人は神様によって与えられた存在です。これは厳然とした冷酷な真理です。これを認めなければ神様を信じることはできません。自分の好き嫌いにかかわらず、今日生きるあなたは神様の絶対的支配のもとに存在しているものです。(KE)