神様の救いは“神様とわたし”の関係がすべての土台になることです

11月22日

「各自は惜しむ心からでなく、また、しいられてでもなく、自ら心で決めたとおりにすべきである。神は喜んで施す人を愛して下さるのである。」第二コリント9:7

 神様が私たちに求められることは、一人ひとりが自主独立した生き方をすることです。人は他者の思惑を忖度したり、不本意ながら付き合いや義理人情に引きずられつつ不自由な生き方をしています。神様の救いは“神様とわたし”の関係がすべての土台になることです。聖霊によって、私たちの心は神様と堅く結ばれ、主のみ心を自分の心とするとき、自立した者となります。(KE)

“必要とされている”“役立っている”とき、存在価値が生まれます

11月21日

「『主がお入り用なのです』と答えた。」ルカ19:34

 イエス様はエルサレムに来られた時、ロバの子を引いてくるようにと弟子たちに指示しました。ロバは見るべき美しさも、俊足もなく、労役に使役されるだけの動物です。それ自身の値打ちは僅かですが、主に必要とされることほど名誉で誇らしいことはありません。自分の能力の如何にかかわらず、“必要とされている”“役立っている”とき、存在価値が生まれます。私たちも無能無力でなにひとつ誇るものはありませんが、今日も主はあなたを必要としておられます。(KE)

たとえ目に見える奇跡に出会っても、決して信じることはできません

11月21日

「このように多くのしるしを彼らの前でなさったが、彼らはイエスを信じなかった。」ヨハネ12:37

 神様を見ることができないから信じないという人がいます。だから確たる証拠を見せよと言いますが、たとえ目に見える奇跡や超自然的出来事に出会っても、決して信じることはできません。何か不思議なしるしや現象を見ても、その瞬間の驚きであり、感動であって、それによって神様を信じることにはならないのです。人が神様を信じ、イエス様を救い主と告白するには御霊によらなければ出来ません。(KE)

慈愛と恵みのゆえに、忍び耐えて、大いに期待しておられます

11月19日

「わたしの若き時の罪と、とがとを思い出さないでください。主よ、あなたの恵みのゆえに、あなたのいつくしみにしたがって、わたしを思い出してください。」詩篇25:7

 人を育てるとき、相手の欠点や短所ばかりを指摘していると良い結果が出ないと言われます。逆に、少しでもいいと思われるところを認めるとますます良くなります。神様も私たちの罪や咎を厳しくとがめることなく、むしろ慈愛と恵みのゆえに、忍び耐えて、大いに期待しておられます。主のご愛の深さを知り、み心に添う者となりましょう。(KE)

イエス様は命を捨てるほどの愛を注いでおられます

11月18日

「キリストは彼のためにも、死なれたのである。」ローマ14:15c

  イエス様が私の罪をあがなうために十字架に死んでくださったと信じて救われ、日々感謝と喜びをもって生活しています。しかし、その人が信じるかどうかにかかわらず、全ての人のためにイエス様は死んだのです。私たちが憎んだり、憤ったり、敵対する人にも、イエス様は命を捨てるほどの愛を注いでおられます。自分が主に愛されていると信じるなら、あなたの周囲のどんな人も同様に愛されていると信じるはずです。お互い主に愛される仲間です。(KE)

私たちは自分の力や世の様々な事象を考えて、神様の力を限っています

11月17日

「あなたの口を広くあけよ、わたしはそれを満たそう。」詩篇81:10b

 神様にどれほど期待するか、これは信仰の大きさを計ることになります。同時に、神様をどのような方と信じているかがはっきりします。神様はできない事のない方、全能者であると言われます、しかし、私たちは自分の力や世の様々な事象を考えて、神様の力を限っています。神様にもできない事があるくらいに思っていないでしょうか。無理だと思うとき、神様はそのようにふるまわれます。口を広くあけるなら、その期待に必ず応えてくださいます。(KE)

思い煩わないで祈り求めなさいと勧めておられるのです

11月16日

「何事も思い煩ってはならない。だた、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。」ピリピ4:6

 神様が喜ばれないことの一つに“思い煩い”があります。神様が居ますことを信じない結果だからです。神様は私たちが幼子のように信頼し、慕って欲しいと願っています。だから、思い煩わないで祈り求めなさいと勧めておられるのです。不安なとき、心配なとき、思い煩うとき、祈ろうではありませんか。神様は全能者、できない事のない方です。(KE)

神様のご愛と力を味わうために試練があるのです

11月15日

「たとい千人はあなたのかたわらに倒れ、万人はあなたの右に倒れても、その災はあなたに近づくことはない。」詩篇91:7

  災難や困難、試練と言われる事態に遭いたくない、避けたいと願いますが、神様はそのように導かれません。ただ、そのような中に置かれても、私たちを守って神様の力と栄光を現そうとなさいます。神様のご愛と力を味わうために試練があるのです。試練の中で、神様を信じて進むなら、間一髪、絶妙なタイミングで救いを施されます。神様の見えない防護壁があるところまで、信じて進みましょう。(KE)

造り主の恥となるような出来損ないとなったのです

11月14日

「イスラエルの家よ、陶器師の手に粘土があるように、あなたがたはわたしの手のうちにある。」エレミヤ18:6b

 神様と私たちとを陶器師と粘土に例えています。粘土から陶器を作る陶器師のように、神様は私たちを造られたのです。名だたる陶器師は自分の名誉のために少しでも欠陥のある品を世に出すことをせず、打ち砕いてしまいます。神様もまた同じ思いです。私たちは神様の作品でありながら、造り主の恥となるような出来損ないとなったのです。しかし、主は惜しんで今もなお忍んでくださっています。(KE)

神様の視点から他者を見ることが求められているのです

11月13日

「ところが、神は、どんな人間をも清くないとか、汚れているとか言ってはならないと、わたしにお示しになりました。」使徒10:28b

 人は他者を差別したり、区別したりしようとしやすいものです。しかし、神様は人を創造されたとき、そのような差別をなさったことはありません。すべての人は神様の前に等しく尊いものです。人と人との間に差異はありますが、神様の視点から他者を見ることが求められているのです。神様からどれほど愛されているかを自覚するとき、他の人への眼差しが変わります。(KE)