8月7日
「神の造られたものは、みな良いものであって、感謝して受けるなら、何ひとつ捨てるべきものはない。」第一テモテ4:4
神様によらないものはありませんから、全て良いものと言えます。事の良し、悪しを言うのは人の勝手な言い分であって、神様の御心とは違います。人にとって不幸な事、嫌な事でも、人知を超えた神様の摂理の中にあるのです。たとえ悲しみや苦しみであっても、無駄な事、無意味な事などは一つとしてありません。神様のなさることと信じ感謝して受けるとき、喜びと賛美に変わります。(KE)
8月7日
「神の造られたものは、みな良いものであって、感謝して受けるなら、何ひとつ捨てるべきものはない。」第一テモテ4:4
神様によらないものはありませんから、全て良いものと言えます。事の良し、悪しを言うのは人の勝手な言い分であって、神様の御心とは違います。人にとって不幸な事、嫌な事でも、人知を超えた神様の摂理の中にあるのです。たとえ悲しみや苦しみであっても、無駄な事、無意味な事などは一つとしてありません。神様のなさることと信じ感謝して受けるとき、喜びと賛美に変わります。(KE)
8月6日
「しかし、彼は聖霊に満たされて、天を見つめていると、神の栄光が現れ、イエスが神の右に立っておられるのが見えた。」使徒7:55
ステパノは迫害する者たちを恐れず、投げつけられる怒りのつぶてを正面から受けて立ち、殉教しました。彼は怒り狂った者たちの背後に栄光の主を見ていたのです。私たちも恐れに囚われるときがあります。それは周囲の状況や人々、迫ってくる様々な危険と思われるものに目を奪われるからです。そのようなときこそ、御霊によって心の目が開かれ、よみがえったイエス様を見ようではありませんか。(KE)
8月5日
「主を待ち望め、強く、かつ雄々しくあれ。主を待ち望め。」詩篇27:14
万物は神様によって造られ、保たれ、動かされています。私たちの日常生活すら、神様のご支配のもとで過ぎていくのです。どんなに小さなことでも神様によらないものはありません。だから、人の理解できないことがあるのは当然のことです。すべての事象の背後に、神様の御心を認めて、次なるわざを期待していくのが信仰です。人の浅はかな知恵や知識で先走らずに、主が備えて下さる「時」と「わざ」を待ち望みましょう。(KE)
8月4日
「わが子よ、わたしの言葉を守り、わたしの戒めをあなたの心にたくわえよ。」箴言7:1
人が命にあふれて生きるのは、神様からの命が注がれるときです。その命は神様のことば、即ちみことばです。聖書のことばほど、不思議なものはありません。解るとか、解らないにかかわらず、単純に信じてみことばをしっかり握っていると、思いがけない知恵や力、慰めや望みなどが湧いてきます。大切なことは単純素朴に信じることであって、理解し納得しようとすると、命が消えます。みことばを頭にではなく、心に置いて下さい。(KE)
8月3日
「主は、わたしたちの罪過のために死に渡され、わたしたちが義とされるために、よみがえらされたのである。」ローマ4:25
イエス様は罪のない神の御子でしたが、わたし達を救うために十字架にかかり、墓に葬られました。しかし、三日目の朝早くよみがえられたのです。この“死”と“よみがえり”は私たちのものです。イエス様を信じるとき、主の死とよみがえりに一体化され、不義なるわたし達がキリストの義を纏い、無代価で永遠の命に導かれるのです。これこそ福音です。(KE)
8月2日
「それゆえに、兄弟たちよ。わたしたちは、果すべき責任を負っている者であるが、肉に従って生きる責任を肉に対して負っているのではない。」ローマ8:12
私たちはこの世にあって生きる使命を与えられています。使命を与えたのは神様ですから、神様に対して果たすべき責任があります。自分の欲望を満たし、夢を実現するために生きているのではなく、その使命を果たすことが私たちの生きる目的です。だから、常に自らの生き方を点検して、目的からぶれないようにしっかり信仰にたって歩みましょう。(KE)
8月1日
「ペテロが行った、『金銀はわたしには無い。しかし、わたしにあるものをあげよう。ナザレ人イエス・キリストの名によって歩きなさい』。」使徒3:6
足のきかない人が神殿へ向かう道で物乞いをしていました。「歩く」とは生きることです。人は金銀で生きると思いがちですが、それでは自分の足で立てません。いつまでも他人の情けに頼ることになります。しかし、イエス・キリストを信じて、み言葉を支えとして生活する時、何ものにも支配されず、自由闊達に生きることができます。これこそ自立した人の人生です。(KE)
7月31日
「彼らは神のほまれよりも、人のほまれを好んだからである。」ヨハネ12:43
世の慣例に従っていれば、事は順調に進みますが、神様の御旨に従おうとすると、様々な障害にぶつかります。「神のほまれ」か「人のほまれ」か、どちらかを選ばなければなりません。私たちは目に見える結果である人のほまれを好みますが、それは目先のことであって、瞬く間に消えてしまいます。しかし、神様のほまれはすぐそのときに結果が見えませんが、天に宝を積むことになり、永遠の命につながっています。神のほまれを求めてください。(KE)
7月30日
「そんな小さな事さえできないのに、どうしてほかのことを思いわずらうのか。」ルカ12:26
“小さな事”とは寿命をのばすことです。神様にとって、そんなことはいとも簡単ですが、人にはできません。そうでありながら、いくらかでも自分は出来ると思いあがるため、思いわずらうのです。自分にはなにも出来ないことを認めて、全能者である神様に全面降伏するとき、平安になります。思いわずらうのは人が神様を押しのけているときです。だから、神様は私たちが思いわずらうことを好まれないのです。(KE)
7月29日
「信仰も、それと同様に、行いを伴わなければ、それだけでは死んだものである。」ヤコブ2:17
信仰と言うと、信じれば良いのだから、頭の中でのことと思われがちです。“信じます”と言いつつ、口先ばかりで行動が伴わなければ“信じる”ことになりません。人の言葉を信じるにしても同じです。なにかの約束をしても、それを信じて具体的な行動がなければ結果を得られません。聖書の言葉を信じて、実際の生活や態度を自ら変えようとしなければ単なる“絵に描いた餅”です。(KE)