私たちは自分の力や世の様々な事象を考えて、神様の力を限っています

11月17日

「あなたの口を広くあけよ、わたしはそれを満たそう。」詩篇81:10b

 神様にどれほど期待するか、これは信仰の大きさを計ることになります。同時に、神様をどのような方と信じているかがはっきりします。神様はできない事のない方、全能者であると言われます、しかし、私たちは自分の力や世の様々な事象を考えて、神様の力を限っています。神様にもできない事があるくらいに思っていないでしょうか。無理だと思うとき、神様はそのようにふるまわれます。口を広くあけるなら、その期待に必ず応えてくださいます。(KE)

思い煩わないで祈り求めなさいと勧めておられるのです

11月16日

「何事も思い煩ってはならない。だた、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。」ピリピ4:6

 神様が喜ばれないことの一つに“思い煩い”があります。神様が居ますことを信じない結果だからです。神様は私たちが幼子のように信頼し、慕って欲しいと願っています。だから、思い煩わないで祈り求めなさいと勧めておられるのです。不安なとき、心配なとき、思い煩うとき、祈ろうではありませんか。神様は全能者、できない事のない方です。(KE)

神様のご愛と力を味わうために試練があるのです

11月15日

「たとい千人はあなたのかたわらに倒れ、万人はあなたの右に倒れても、その災はあなたに近づくことはない。」詩篇91:7

  災難や困難、試練と言われる事態に遭いたくない、避けたいと願いますが、神様はそのように導かれません。ただ、そのような中に置かれても、私たちを守って神様の力と栄光を現そうとなさいます。神様のご愛と力を味わうために試練があるのです。試練の中で、神様を信じて進むなら、間一髪、絶妙なタイミングで救いを施されます。神様の見えない防護壁があるところまで、信じて進みましょう。(KE)

造り主の恥となるような出来損ないとなったのです

11月14日

「イスラエルの家よ、陶器師の手に粘土があるように、あなたがたはわたしの手のうちにある。」エレミヤ18:6b

 神様と私たちとを陶器師と粘土に例えています。粘土から陶器を作る陶器師のように、神様は私たちを造られたのです。名だたる陶器師は自分の名誉のために少しでも欠陥のある品を世に出すことをせず、打ち砕いてしまいます。神様もまた同じ思いです。私たちは神様の作品でありながら、造り主の恥となるような出来損ないとなったのです。しかし、主は惜しんで今もなお忍んでくださっています。(KE)

神様の視点から他者を見ることが求められているのです

11月13日

「ところが、神は、どんな人間をも清くないとか、汚れているとか言ってはならないと、わたしにお示しになりました。」使徒10:28b

 人は他者を差別したり、区別したりしようとしやすいものです。しかし、神様は人を創造されたとき、そのような差別をなさったことはありません。すべての人は神様の前に等しく尊いものです。人と人との間に差異はありますが、神様の視点から他者を見ることが求められているのです。神様からどれほど愛されているかを自覚するとき、他の人への眼差しが変わります。(KE)

主のため、キリストのために生きる者となるのです

11月12日

「すなわち、わたしたちのうち、だれひとり自分のために生きる者はなく、だれひとり自分のために死ぬ者はない。」ローマ14:7

 イエス様を信じて救われるとは、自分の人生の方向が変わることです。かつては自分中心に世界が動いていましたが、イエス様の死と合わせられて共に死んだ私たちは主のよみがえりによって、新しい命に生きる者となりました。それは主のため、キリストのために生きる者となるのです。今日も誰彼のためではなく、主のために生かされる一日です。(KE)

すべての思想の根底にあるべきものです

11月11日

「もろもろの天はあなたのもの、地もまたあなたのもの、世界とその中にあるものとはあなたがその基をおかれたものです。」詩篇89:11

 神様を褒め称える賛歌ですが、これはまたすべての思想の根底にあるべきものです。この土台となるものが欠けるので、世の中は混とんとして、無秩序になってしまいます。個人の生活から、国家社会のあり方に至るまで、徹底してここに立つとき、自ずから事の是非が見えてきます。まずはじめに身近な自分の生き方をこの土台に据えようではありませんか。(KE)

タラントはできる限り主人の意図に従って用いることが期待されています

11月10日

「だいぶ時がたってから、これらの僕の主人が帰ってきて、彼らと計算をしはじめた。」マタイ25:19

 主人が旅に出るとき、しもべ達に財産を預けました。やがて、帰ってきて、しもべ達と清算をします。私たちもまたこのしもべ達のように主人である神様の前で人生の清算するときが来ます。なぜなら、私たちは神様から様々なタラントを託せられているのです。そのタラントをできる限り主人の意図に従って用いることが期待されています。自分勝手に浪費することは許されません。あなたは大丈夫ですか。(KE)

私たちのしていることはすべて主のためです

11月9日

「人にへつらおうとして目先だけの勤めをするのでなく、キリストの僕として心から神の御旨を行い、人にではなく主に仕えるように、快く仕えなさい。」エペソ6:6-7

 この世にあって、人は何かに仕えて生きています。上司であったり、家族であったり、様々です。たとえそれが何であってもイエス様に従うのが私たちの使命です。会社で働くにしても、家庭にあっても、私たちのしていることはすべて主のためです。主に仕える僕(しもべ)であること、報いて下さるのも主であることを覚えておきましょう。(KE)

真実を貫かれる方。この方こそ主なるキリスト、救い主です

11月8日

「たとい、わたしたちは不真実であっても、彼は常に真実である。彼は自分を偽ることが、できないのである。」第二テモテ2:13

 人は真実でありたいと思いつつ、自己保身やメンツ(自尊心)などで不真実な者となります。そのため、イエス様でも自分たちと同じだとして、信用しようとしません。これは不幸なことです。主が不真実な者で時と場合によって言葉を左右されるなら、私たちは何を信じればいいのでしょう。時代を越え、人種を問わず、地域を隔てず、真実を貫かれる方。この方こそ主なるキリスト、救い主です。(KE)