だから、神様は私たちを捨てることができないのです

7月28日

「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだのである。」ヨハネ15:16ab

 救いを求めてイエス様のもとに来るわけですが、それはあくまでも私たちの理由にすぎません。今、神様を信じ、イエス様に従う者となったのは神様の一方的な選びによるのであり、そうなるようにと、はるか以前から決めてくださったのです。神様が選んだのですから、私たちがどのような者であっても選択責任は神様にあります。だから、神様は私たちを捨てることができないのです。主の選びによることを感謝し、御手に委ねましょう。(KE)

自由であるがゆえにあえて自ら不自由を選び取ることでもあります

7月27日

「わたしは、すべての人に対して自由であるが、できるだけ多くの人を得るために、自ら進んですべての人の奴隷になった。」第一コリント9:19

 イエス様の救いによって、完全な自由を与えられました。その意味は束縛がないというばかりではなく、自由であるがゆえにあえて自ら不自由を選び取ることでもあります。自由という言葉に対立するものとして、奴隷と語られていますが、自分の積極的な意思によって奴隷になることを選び取ることができるなら、それこそが完全な自由と言えます。(KE)

神様はさまざまな試練を通して、人の心に潜む動機をも探られます

7月26日

「主であるわたしは心を探り、思いを試みる。おのおのに、その道にしたがい、その行いの実によって報いをするためである。」エレミヤ17:10

 神様の見るところは人の見るところとは異なっています。私たちはどんなにしても他者の心を知ることは出来ません。外見や外に現れたことしかわかりません。しかし、神様はさまざまな試練を通して、人の心に潜む動機をも探られます。そればかりか、“行いの実”によって報いてくださいます。他者の評価によらず、神様の報いを望んで歩みましょう。(KE)

思いがけない体験や回り道によって、そうでなければ得られない恵みに出会います

7月25日

「苦しみにあったことは、わたしに良い事です。これによってわたしはあなたのおきてを学ぶことができました。」詩篇119:71

 苦しみや困難にあうことは人生にとってマイナスであって、人生を浪費したような挫折を感じたりします。しかし、どんなことでも無駄なものは決してありません。思い通りに事が進まなくても、謙遜になって、与えられた不幸な状況を感謝して受けるとき、思いがけない体験や回り道によって、そうでなければ得られない恵みに出会います。すべての背後にある神様の愛を知るのです。(KE)

振り返って見ると、平凡な日常に驚くほど多くの恵みが満ちています

7月24日

「わたしに賜わったもろもろの恵みについて、どうして主に報いることができようか。」詩篇116:12

 自分にとって願わしい事態や事が起こると、“有りがたい”と感謝の念が湧いてきますが、何事もなく過ぎていく日々にあっては感謝など忘れています。しかし、ちょっと振り返って見ると、平凡な日常に驚くほど多くの恵みが満ちています。当然のことと思っていますが、神様の慈しみなくしてはあり得ない恵みです。飢えることなく、寒さに震えることなく、今日あることを神様に深く、深く感謝しようではありませんか。(KE)

まことの神様は、今現実に生きている人にとっての神様です

7月23日

「神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神である。人はみな神に生きるものだからである。」ルカ20:38

 信仰は死んでからのためだと誤解している人がいます。確かに、神仏を祭るのは、極楽浄土に権利を確保する意味があるかもしれません。しかし、まことの神様は、今現実に生きている人にとっての神様であって、実人生と直結したものです。また、信仰に生きた過去の人々の神様としてではなく、私たちの生きる目的が神様のためであり、神様なくして人は生きられないのです。神様に生かされて今日も過ごしましょう。(KE)

ちょっとした躓きによって、ますます悪い状態へ落ち込みます

7月22日

「あなたがたの神、主に帰れ。主は恵みあり、あわれみあり、怒ることがおそく、いつくしみが豊かで、災を思いかえされるからである。」ヨエル2:13bc

 “毒を食らわば皿まで”という言葉がありますが、自暴自棄に陥ることです。人は小さな失敗をしたり、ちょっとした躓きによって、ますます悪い状態へ落ち込みます。こうなったら終わりだと自分で決めてかかるからです。そうならないために、まず神様のもとに帰ること、これが唯一の道です。神様はへりくだって求めるものに愛をもって答えてくださいます。(KE)

大切なのは長生きするかではなく、どのような生き方をするかです

7月21日

「罪びとで百度悪をなして、なお長生きするものがあるけれども、神をかしこみ、み前に恐れをいだく者には幸福があることを、わたしは知っている。」伝道8:12

 長寿社会になり、長生きする人が幸福な者であるかのように思われる時代ですが、大切なのは長短ではなく、どのような生き方をするかです。神様を畏れ、かしこみ、心穏やかに平安な日を一日でも過ごせるなら、それで十分です。世間の様々な価値観に振り回されることなく、愚直に、素直に聖書の言葉を信じて、心が満ち足りた日々を過ごしましょう。(KE)

私たちはどれほどイエス様に感謝しているでしょうか

7月20日

「イエスの足もとにひれ伏して感謝した。これはサマリヤ人であった。」ルカ17:16

 皮膚病を患っていた10人が、イエス様のことばに従って祭司に見せに行く途中ですっかり癒されました。そのうちの一人で異邦人であった者がイエス様のもとに戻って来て、心から感謝しました。彼は当時の社会で差別され、イエス様からこのような恵みをいただく値打ちはないと思っていたから、望外の喜びです。私たちはどれほどイエス様に感謝しているでしょうか。日々の生活を振り返ると、どんなに感謝してもしすぎることはありません。(KE)

艱難によって良い結果が得られるとはかぎりません

7月19日

「人が若い時にくびきを負うことは、良いことである。主がこれを負わせられるとき、ひとりすわって黙しているがよい。」哀歌3:27-28

  世間でも“鉄は熱いうちに打て”と言います。確かに若いときの苦労は有益ですが、しかし、艱難によって良い結果が得られるとはかぎりません。人生に禍根を残すことになることもあります。ただ、艱難試練を神様から与えられたものとして受けるなら、必ず良い結果になります。神様が報いて下さるからです。そのためには、あなた自身がそのことを信じることです。(KE)