主の十字架はすべての罪や咎、穢れを清めてくださったのです

9月11日

「すると、声が二度目にかかってきた、『神がきよめたものを、清くないなどと言ってはならない』。」使徒10:15

 旧約時代、律法に従って食べるものにもきよいものと穢れたものの区別があり、長年厳格に守られていました。しかし、イエス様は十字架によって律法の終りとなり、区別や差別を一切取り除かれたのです。それは人に対する差別をも消し去ってくださいました。主の十字架はすべての罪や咎、穢れを清めてくださったのです。あなたのみならず、あなたが嫌いな人のためにも主はいのちを捨てて愛しておられるのです。(KE)

イエス様に救われた私たちもまたこの世から選びとられた者です

9月10日

「わたしが世のものでないように、彼らも世のものではありません。」ヨハネ17:16

 イエス様は父なる神様と共におられ、天に属する方です。主は私たちの罪をあがなう犠牲として人の世に降り、人とまったく同じものとなってくださいました。しかし、世にありながら世のものとして生きたのではありません。イエス様に救われた私たちもまたこの世から選びとられた者です。今、世にあるのは主と同様に神様の使命を与えられ、それぞれの持ち場立場に派遣されているのです。このことを自覚しておきましょう。(KE)

羊は戦う力も、鋭い牙や角も、駆け回る俊足もありません。私たちはまさにこのような羊です。

9月9日

「主はわたしの牧者であって、わたしには乏しいことがない。主はわたしを緑の牧場に伏させ、いこいのみぎわに伴われる。」詩篇23:1-2

 神様と私たちの関係を羊飼いと羊にたとえています。羊は戦う力も、鋭い牙や角も、駆け回る俊足もありません。また、自分で牧草や水場を探すこともできません。彼らを守り導く牧者が居なければ命をまっとうできないのです。私たちはまさにこのような羊です。イエス様はご自分を「良い羊飼い」と語っています。主を牧者として、主の言葉を聞き分ける従順な羊になりましょう。(KE)

避けられないのであれば、むしろ試練を正面から受け止め、積極的に生きることが幸いです

9月8日

「試錬を耐え忍ぶ人は、さいわいである。それを忍びとおしたなら、神を愛する者たちに約束されたいのちの冠を受けるであろう。」ヤコブ1:12

 人は生きている限り、困難や苦しみなど試練といわれるものを避けることができません。それは神様が私たちに与えておられる恵みでもあります。試練を通らなければ得られないものがあるからです。避けられないのであれば、むしろ試練を正面から受け止め、積極的に生きることが幸いです。神様は試練の中でどのように生きるかを見ておられ、それに必ず報いて下さるのです。(KE)

神様は豊かな慈愛をそそぎ、御心を全うしてくださるのです

9月7日
「主は正義と公平とを愛される。地は主のいつくしみで満ちている。」詩篇33:5
「天網恢恢租にして漏らさず」と、世間でも言いますが、神様は活きておられ、必ず「正義と公平」を行う方です。私たちの目には不正がはびこり、不義が横行して神様はどこ におられるのだろうかと思われる現実があります。しかし、私たちの思うところがどうであれ、神様は被造物を愛して豊かな慈愛をそそぎ、御心を全うしてくださるのです。さま ざまな悪と見えることの中にも主の義が貫かれ、慈しみが行き渡っていることを信じましょう。(KE)

神様に喜ばれる歩みを常に努めるならば、すべてを良きことにしてくださいます。

9月6日

「人の道が主を喜ばせる時、主はその人の敵をもその人と和らがせられる。」箴言16:7

  すべての人のわざを見ておられる主は、それぞれについて必ず報われます。あなたが主に喜ばれるならば、あなたに敵対する者をも和らがせて、平和を与えて下さるのです。これは神様の祝福です。ですから、神様に喜ばれる歩みを常に努めるならば、私たちがあくせくしなくても、神様のほうが働いてくださって、すべてを良きことにしてくださいます。今、問題となることで悩んでいるなら、まず、主を喜ばせる道を歩んでください。(KE)

あなた自身と神様との契約であり、約束の成就だからです

9月5日

「それで、イエスは神の右に上げられ、父から約束の聖霊を受けて、それをわたしたちに注がれたのである。」使徒2:33

 イエス様は十字架にかかられる前、聖霊を送ると約束されました。やがて、ペンテコステの日に御霊が注がれました。今の時代は、聖霊の時代であって、御霊が与えられているのです。わたしにも聖霊が宿っていますと信じることが大切です。それを第三者が判定することはできません。あなた自身と神様との契約であり、約束の成就だからです。与えられたと信じて、御霊の声に聴き従おうではありませんか。(KE)

神様の御旨に従おうとするとき必ず戦いや困難が伴います。それは私たちの内にある力です

9月4日

「わたしたちの戦いは、血肉に対するものではなく、もろもろの支配と、権威と、やみの世の主権者、また天井にいる悪の霊に対する戦いである。」エペソ6:12

 神様の御旨に従おうとするとき、必ず戦いや困難が伴います。それは私たちの外部にある力ではなく、内にある力です。生まれながらの自我性、肉性ともいうべき霊力が神様に従うことを妨げようと激しく襲ってきます。私たちには力がないので、神様の力、聖霊の働きを求めなければ負けてしまいます。勝利者イエス様に縋って、この戦いを勝利してください。(KE)

主の恵みを拾い集めて感謝することこそ神様の栄光です

9月3日

「すべてのことは、あなたがたの益であって、恵みがますます多くの人に増し加わるにつれ、感謝が満ちあふれて、神の栄光となるのである。」第二コリント4:15

 どんなことも、神様は私たちの益となるように備えて下さったことです。“数えてみよ、主のめぐみ”という聖歌がありますが、主の恵みを拾い集めて感謝することこそ神様の栄光です。人がどんなわざをしようと神様の栄光を現すことはできません。あふれる感謝、これに勝るものはありません。自分の思いや考えに固執せず、主のご愛に目をとめて、感謝しようではありませんか。(KE)

神様に喜ばれる者となる道は信仰に生きる以外にないのです

9月2日

「わが義人は、信仰によって生きる。もし信仰を捨てるなら、わたしのたましいはこれを喜ばない。」ヘブル10:38

  人は品行方正、善行功徳をもって義人であろうとしますが、どんなことをしても神様に認められる者になれません。神様に喜ばれる者となる道は信仰に生きる以外にないのです。人は見えるもの、聞くところによって生きようとします。しかし、見えない神様の居ますこと、信頼し、呼び求める者に答えて下さることを信じる信仰に生きるとき、魂はいのちに輝き、喜びがあふれます。(KE)