私たちにはいろんな意味で力がありません

7月7日

「汝の能力(ちから)は汝が日々に需(もと)むるところに循(したが)はん。」申命記33:25(文語訳)

 子供の頃に覚えた文語訳によるみことばです。そもそも私たちにはいろんな意味で力がありません。あるとすれば邪悪なサタンのちからでしょうか。正しい道を選びとって生きる力は神様から注がれるものです。その力がなければ燃料が切れた車のようで、無用の長物と化してしまいます。神様からの力は蓄えることができないので、日々求めなければ得られません。今日も神様のもとに来て、上からの力に満たされましょう。(KE)

この世の思い、肉の思いは私たちに強く迫ってくるからです

7月6日

「こういうわけだから、わたしたちは聞かされていることを、いっそう強く心に留めねばならない。そうでないと、おし流されてしまう。」ヘブル2:1

 聖書のことばを通して語られる神様のみ思いは、この世のさまざまな声にかき消されてしまいがちです。なぜなら、この世の思い、肉の思いは私たちに強く迫ってくるからです。一方、聖霊が語ってくださる御声は優しく細いものです。一陣のさわやかな風が吹くごとく、御霊がみ思いを開いてくれた瞬間、しっかりと受け止めて心に留めるように努めましょう。(KE)

この世に遣わされた者となり、主キリストに仕えるしもべとなるのです

7月5日

「そして、あなたのすることはすべて、言葉によるとわざによるとを問わず、いっさい主イエスの名によってなし、彼によって父なる神に感謝しなさい。」コロサイ3:17

 イエス様を信じて救われると、目に見える境遇が大変化するわけではありません。しかし、私たちの立っている場所が変わります。この世に遣わされた者となり、主キリストに仕えるしもべとなるのです。それぞれの家庭や職場、地域社会へキリストの名代としておかれています。私たちの一挙手一投足、全てがキリストの代わりにしていることを自覚しましょう。(KE)

人の思いわずらいはほとんど明日のこと将来のことばかりです

7月4日

「だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。」マタイ6:34

 人の思いわずらいはほとんど今のことではなく、明日のこと将来のことばかりです。どんなに苦しくつらくても、今その中にあるとき思いわずらいません。今の事態ですから、それに対処するのに手一杯です。しかし、次にどうなるか、ここから思いわずらいや心配、不安が生じます。こればかりはどんなに考えてもわかりません。明日をつくられるのは神様ですから。(KE)

羊は羊飼いがいなければ命を全うすることができません

7月3日

「主はわたしの牧者であって、わたしには乏しいことがない。」詩篇23:1

 牧者とは“羊飼い”のことです。イエス様(神様)と私たちの関係を牧者と羊にたとえています。羊は羊飼いがいなければ命を全うすることができません。無力で、無防備ですから、いろんな敵にやられてしまいます。牧者は自分の群れを守り、餌場に導き、水辺に憩わせて、外敵から命がけで守ってくれます。しかも、すべての必要を満たしてくれます。私たちも羊飼いに信頼しきった羊となり、命に輝いた日々を送りましょう。(KE)

しもべのなすべきことは主人を喜ばせることです

7月2日

「主人のこころを知っていながら、それに従って用意もせず勤めもしなかった僕は、多くむち打たれるであろう。」ルカ12:47

 イエス様を信じた時から、私たちはイエス様に仕える“しもべ”となったのです。しもべのなすべきことは主人を喜ばせることです。ですから、私たちは常にそのことを心がけています。主人の心を知りながら従おうとしないしもべは、不忠実で怠惰なしもべと嫌われます。主は寛容で、慈愛に富んだ方ですが、だからといって軽んじ侮ってはなりません。心を引き締めて今日も主に仕えましょう。(KE)

イエス様の言いつけに全く従ったからです

7月1日

「母は僕たちに言った、『このかたが、あなたがたに言いつけることは、なんでもして下さい』。」ヨハネ2:5

 カナの村の婚宴でぶどう酒が不足したとき、しもべ達はイエス様の指示に従い、水をくみ、料理頭のところへ持っていきました。ところが、それは最上のぶどう酒となっていました。驚くようなわざがなされましたが、その秘訣はしもべ達が母マリヤさんから命じられた通り、イエス様の言いつけに全く従ったからです。主のことばに従うとき、みわざが行われます。(KE)

義のゆえに「破れ口」に立ってとりなす者を求めているのです

6月30日

「わたしは、国のために石がきを築き、わたしの前にあって、破れ口に立ち、わたしにこれを滅ぼさせないようにする者を、彼らのうちに尋ねたが得られなかった。」エゼキエル22:30

 親は憎しみではなく愛のゆえに子供を叱るとき、ひどいことをしたいとは決して思いません。振り上げたこぶしを止めてくれるものを願っています。神様も同じくなんとしても許したいと願っていますが、義のゆえに「破れ口」に立ってとりなす者を求めているのです。あなたの一言の祈りが神様の怒りを消し去るのです。(KE)

苦難は人を謙遜にして深い自省の念に導きますが、それが過ぎると元にもどって高慢になります

6月29日

「るつぼによって銀をためし、炉によって金をためす、人はその称賛によってためされる。」箴言27:21

 “るつぼ”や“炉”は貴金属を高熱によって溶かして不純物を取り除き、純度をたかめるために使われます。人もまた同様に試練によって清められますが、人にとっての試練は苦しみや悲しみよりも物事が順調で得意満面のときです。確かに、苦難は人を謙遜にして深い自省の念に導きますが、それが過ぎると元にもどって高慢になります。しかし、称賛や順境はその人の本音を暴き出します。(KE)

神様の声に聴き従うとき、必ず「幸いを得る」のです

6月28日

「われわれは良くても悪くても、われわれがあなたをつかわそうとするわれわれの神、主の声に従います。われわれの神、主の声に従うとき、われわれは幸を得るでしょう。」エレミヤ42:6

 「良くても悪くても」従います。これこそ神様の手に委ねることです。良い事には従うが、悪い事には従えないというなら、選択決定権を自分が握って神様を軽んずることです。どんなことでも、神様の声に聴き従うとき、必ず「幸いを得る」のです。これは体験しなければ知り得ないことですから、決断をつけて主の声に従いましょう。(KE)