事を始めようとするとき、まず自分の心に問いかけてみてください

4月4日

「自ら良いと定めたことについて、やましいと思わない人は、さいわいである。」ローマ14:22b

 これは自分の行動についての一つの評価基準です。事を始めようとするとき、確信が持てるのかどうか、まず自分の心に問いかけてみてください。事態や事が過ぎても心に引っかかるものを感じるときがあるからです。自分自身が「よし」と定めなければ、いつまでも心が晴れず、治りにくい傷口のごとく苦い思いが滲み出てきます。確信をもって決断し、晴れやかな心で生きようではありませんか。(KE)

人にとって不幸と思えることも、神様のみ手によるわざです

4月3日

「さて、散らされて行った人たちは、御言(みことば)を宣べ伝えながら、めぐり歩いた。」使徒8:4

 聖霊が下ったのち、エルサレムに教会ができて、多くの人々がイエス様を信じる者となりました。そのころ、大迫害が起こり、クリスチャンたちは散らされました。しかし、その結果、地中海沿岸各地に福音がのべ伝えられ、教会が誕生しました。人にとって不幸と思えることも、神様のみ手によるわざですから、決して無駄に終わりません。すべてに神様の深い摂理があります。(KE)

信仰は主に「すべてありのまま」を言い表すことで揺るがないものとなります

4月2日

「その女は自分の身に起ったことを知って、恐れおののきながら進み出て、みまえにひれ伏して、すべてありのままを申し上げた。」マルコ5:33  

長年病に苦しんだ女がイエス様に触れて、すっかり癒されました。イエス様はそのことを人々の前で語らせたのです。女の人は隠しておきたかったでしょうが、イエス様はむしろ「すべてありのまま」を告白することで、彼女の信仰を不動のものとしてくださったのです。私たちの信仰も主に「すべてありのまま」を言い表すことで揺るがないものとなります。(KE)

私たちに神様のことよりも、家族や友人、世間体など、に心を向けさせる力です

4月1日

「あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。」マタイ16:23c

 この言葉の前半には「サタンよ、引き下がれ。」とペテロを叱責していますが、「サタン」は私たちを神様から引き離すものです。それは何か具体的な姿や形をしているのではなく、変幻自在に忍び込んできます。その一つは神様よりも、人のことを思うことです。私たちに神様のことよりも、家族や友人、世間体など、そちらに心を向けさせる力です。サタンはまた巧妙な手をつかってきますから、常に警戒して神様の側に立っていたいと思います。(KE)

悩みや苦しみ、困難に出会ったとき、ねんごろにいやし、包んでくださるのです

3月31日

「さあ、わたしたちは主に帰ろう。主はわたしたちをかき裂かれたが、またいやし、わたしたちを打たれたが、また包んでくださるからだ。」ホセア6:1

 これは神様が私たちに期待しておられることです。悩みや苦しみ、困難に出会ったとき、それは神様が私たちをご自分のもとに招いておられるときだからです。しかも、咎めたり、叱ったりなさるのではなく、むしろねんごろにいやし、包んでくださるのです。主のご愛と恵みを知るときであることを忘れてはなりません。(KE)

死んでいた私たちをよみがえらせ、新しい命に生きる者として下さいます。

3月30日

「さてあなたがたは、先には自分の罪過と罪とによって死んでいた者であって、…」エペソ2:1

 私たちは皆神様に似る者として、神の像(かたち)にかたどられ、造られた者です。神様とつながって生きる者でありながら、神様に背いて命を失い、「罪過と罪とによって死んでいた」者です。しかるに、神様は限りない愛のゆえに、十字架を立て、死の原因を取り除いたのです。そればかりか、イエス様が文字通り墓からよみがえられたように、死んでいた私たちをよみがえらせ、新しい命に生きる者として下さいます。(KE)

あなたの小さな力を主の手にゆだねて、主の祝福を求めてください

3月29日

「イエスは言われた、『それをここに持ってきなさい』。」マタイ14:18

 大ぜいの群衆がイエス様の話を聞きに集まりました。時間がたち夕方になりました。空腹になった人々の様子をみて、主は弟子たちに食物を与えるように命じました。しかし、彼らのもとには二匹の魚と五つのパンしかなかったのです。なんの役にも立たない僅かなものでも、それを主の手にゆだねて、祝福を受けるとき、想像を超えた結果となります。あなたの小さな力を主の手にゆだねて、主の祝福を求めてください。主はそれを驚くほどのものに変えてくださいます。(KE)

神様のわざは私たちへの限りなき愛から出たものです

3月28日

「神のみわざを考えみよ。神の曲げられたものを、だれがまっすぐにすることができるか。」伝道7:13

  神様のわざは人の願う事とはかけ離れた場合が多くあります。だからといって、みわざを自分の思いに添わせることはできません。また、神様がなさることを妨げたり、変更することも不可能です。しかし、神様のわざは私たちへの限りなき愛から出たものですから、これ以上に素晴らしいものはありません。神様の愛を信じて、与えられたわざを受けるとき、感謝することができます。(KE)

私たちに対する限りない愛のゆえであります

3月27日

「ご自身の御子をさえ惜しまないで、わたしたちすべての者のために死に渡されたかたが、どうして、御子のみならず万物をも賜わらないことがあろうか。」 ローマ8:32

 ひとり子すらも惜しまず、私たちの罪のために贖罪の犠牲とされた神様ほど気前のよい方はおられません。勿論、それは私たちに対する限りない愛のゆえであります。それほどの方が何をしみったれたことをなさるでしょうか。私たちの思うより、願うより、もっと勝ったことをして下さらないはずはありません。この方が後ろ盾となってくださっていることを信じましょう。(KE)

単純にみ言葉を自分に語られたものと信じて従うとき神様の性質へと私たちを変えてくださるのです

3月26日

「こうして、主の言(ことば)はますます盛んにひろまって行った。」 使徒12:24

 み言葉が広まっていくこと、これが伝道です。み言葉を抜きにした教理・教説を説いたところで、人は救われません。単純にみ言葉を自分に語られたものと信じて従うとき、み言葉に込められた命をくみ取り、神様の性質へと私たちを変えてくださるのです。だから、どんなに高尚な論説よりも、み言葉を伝えることができれば、それが最善にして最高のわざです。あなたがいただいている神の言葉を伝え広めようではありませんか。(KE)