いつも神様を思う心であるとき、平安と望みがあります

4月12日

「わたしは常に主をわたしの前に置く。主がわたしの右にいますゆえ、わたしは動かされることはない。」詩篇16:8

 あなたの心にいつもある思いは何でしょうか。病気の事、お金のこと、子供や孫のこと、老後のこと、仕事のことでしょうか。ダビデ王は何よりも第一に神様のことを心の中に置いたと言います。いつも神様を思う心であるとき、平安と望みがあります。それ以外のものが心を占めるとき、不安と失望しかありません。どうぞ、今日も主を絶えず思って生きてください。(KE)

神様を信じて、そのみ手に自分を委ねてみませんか

4月11日

「狭い門からはいれ、滅びにいたる門は大きく、その道は広い。そして、そこからはいって行く者が多い。」マタイ7:13

 与えられた一回限りの人生をどのように生きるべきでしょうか。世間に習い、習慣やしきたりに身をゆだねて、多数の中のひとりとなって生きるのはとても易しく、楽な生き方です。しかし、その結果は虚しく、活ける屍というほかありません。神様を信じて、そのみ手に自分を委ね、人に倣わず、世に流されない人生こそ、生き甲斐のある人生です。ただし、これは狭い門です。(KE)

心を低くして主を呼び求めてください

4月10日

「ヤコブは眠りからさめて言った、『まことに主がこの所におられるのに、わたしは知らなかった』。」創世記28:16

 神様は本当におられるのだろうかと思うような現実が目の前にあります。しかし、見える状況や事態がどんなであっても、実に神様はその所におられるのです。ただ、私たちの霊眼が遮られて気づかないだけです。心を低くして主を呼び求めてください。必ず、主は答えて、ご自分の存在を現してくださいます。それによって、私たちが主を喜び、ほめたたえる者となることを願っておられるからです。(KE)

自分に失望することはあっても、絶望することはなかなか無いものです

4月9日

「わたしは、なんというみじめな人間なのだろう。だれが、この死のからだから、わたしを救ってくれるだろうか。」ローマ7:24

 自分に失望することはあっても、絶望することはなかなか無いものです。どこかで、わずかでも自分を肯定しようとするものです。自尊心を持つようにと勧められますが、真の自尊心は徹底的な自己否定から始まり、神様の「よし」とされる全面的な肯定を素直に受け入れ、改めてありのままなる自分を認めることによるのです。御子の命を代価としてあがなわれた尊いあなたなのです。(KE)

心を欠いた形だけのわざとなります。信仰においても同様です

4月8日

「しかし、あなたに対して責むべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。」黙示録2:4

 どんなことにも初めがあります。生まれたとき、入学したとき、就職したとき、結婚したときなど、その最初は喜びと感激で始まるものです。しかし、時間が経つにつれて、初めの思い、感激は薄らいできます。そのことに慣れて、新鮮な感覚を忘れてしまうからです。その結果、心を欠いた形だけのわざとなります。信仰においても同様です。初心に帰って謙遜になり、神様のご愛を深く新鮮に感じる心となってください。(KE)

今日、あなたは自分のため、家族のために生きようとしていますか

4月7日

「主にあっては、あなたがたの労苦がむだになることはないと、あなたがたは知っているからである。」第一コリント15:58c

 今日、あなたは誰のために生きようとしていますか。自分のため、家族のためでしょうか? 実は、私たちはみな神様のために生きる者として造られたのです。いま自分は神様のためにこのことをしていると信じるとき、神様からの報いを頂くことができます。たとえ、誰にも認められない小さなわざであっても、主はご存知です。あなたの労苦に報いてくださいます。(KE)

人は「今」という時しか見えないからです

4月6日

「わが思いは、あなたがたの思いとは異なり、わが道は、あなたがたの道とは異なっていると主は言われる。」イザヤ55:8

 神様が抱いておられる思い、ご計画は、私たちのそれとまったく異なったものです。神様は過去、現在、未来にわたって見通すことができますが、人は「今」という時しか見えないからです。私たちはその瞬間、瞬間に見えるところにとらわれ、心を動かされ、思い煩うのです。主はあなたが思うよりも、あなたの計画よりも、はるかに素晴らしいことを備えておられます。(KE)

私たちの手に握れるのは「今」の時です

4月5日

「見よ、今は恵みの時、見よ、今は救の日である。」第二コリント6:2b

 私たちに与えられた確かな時は「今」という時以外にありません。「過去」は文字通り過ぎ去って、今からでは何もできません。巻き戻してやり直すこともできません。「未来」はあるようで無い時間、未知なるものですから、確かなものとはいえません。そうなると、私たちの手に握れるのは「今」の時ですから、「今」をどのように生きるかが大切になります。今、困難や悩みの中にあろうとも、「恵み」の時、「救い」の日であると信じてください。(KE)

それほどに大きな愛をあなたに注いでくださったのです

4月4日

「ご自身の御子をさえ惜しまないで、わたしたちすべての者のために死に渡されたかたが、どうして、御子のみならず万物をも賜わらないことがあろうか。」ローマ8:32

 父なる神様は愛するひとり子をこの世に送って、罪の贖いの犠牲となさいました。それほどに大きな愛をあなたに注いでくださったのです。だからこそ、神様はあなたの願いや必要を拒まれることがあるでしょうか。神様にとって、御子以上に惜しむべきものがほかにあるでしょうか。どうぞ、主のご愛を確信して祈りましょう。(KE)

心の平安を得るには自分の思いわずらいを神様に委ねる以外にありません

4月3日

「平穏であって、ひとかたまりのかわいたパンのあるのは、争いがあって、食物の豊かな家にまさる。」箴言17:1

 「衣食足りて礼節を知る」と言いますが、今の日本はどうでしょうか?物質的な豊かさは心の安らぎにはなりません。心の平安を得るには自分の思いわずらいを神様に委ねる以外にありません。自分の自我に根差した欲得から離れなければ、平安を得ることができないからです。そのためにはイエス様と共に十字架に死んだ者となって生きることです。(KE)