私たちも劣らず熱い思いを主に捧げようではありませんか

5月5日

「あなたはわが目に尊く、重んぜられるもの、わたしはあなたを愛するがゆえに、あなたの代りに人を与え、あなたの命の代りに民を与える。」イザヤ43:4

 神様の熱烈な愛の告白です。これほど大切に思ってくれる人がいるでしょうか。あなたのためならばどんなものでも惜しくないというのですから。それほどまでに思いを寄せて下さる方に、片思いで終わらせようというのでしょうか。否、私たちも劣らず熱い思いを主に捧げようではありませんか。神様との相思相愛こそ人の幸せの極みです。(KE)

信仰の戦いの中心は不信仰との戦いです

5月4日

「信仰の戦いをりっぱに戦いぬいて、永遠のいのちを獲得しなさい。」第一テモテ6:12a

 信仰生活は生涯をかけて持続するもので、卒業や終了はありません。また、最後までまっとうしなければ結果を得られません。8割、9割続いたから、合格と言えないのです。長い年月の間には信仰の戦いが必ずあります。その中心は不信仰との戦いです。具体的には様々な形がありますが、現実の生活の中で信仰を持ち続ける努力を続けてください。神様からの報いである「永遠のいのち」を目指して、主にすがりつつ戦いに勝利しましょう。(KE)

私たちは命も人生もすべて自分のものはなく、全て神様のものなのです

5月3日

「まことに人はだれも自分をあがなうことはできない。そのいのちの価を神に払うことはできない。」詩篇49:7

 神様は私たちを造られた方です。ということは、私たちは本来神様に所有された者です。ところがサタンは神様から私たちを盗んで、命も人生もすべて自分のものだと思わせているのです。私たちは何一つ自分のものはなく、全て神様のものなのです。もし、神様から所有権を買い取ろうとするなら、その代価を払うことができません。私たちはそれほど高価なものだからです。(KE)

人の力は限りあるものであって、なし得ることも限られています

5月2日

「イエスは彼らを見つめて言われた、『人にはできないが、神にはできる。神はなんでもできるからである』。」マルコ10:27

  人はあくまでも被造物であり、相対的な存在です。神様は創造者であり、絶対的な方です。それゆえ、人の力は限りあるものであって、なし得ることも限られています。否、「できない」というほうが正確でしょう。一方、神様はオールマイティ、全能者、できない事のない方です。だからこそ、人は神様に頼らなければ生きることができません。なんでもできる神様のみ手のなかにあることを信じましょう。(KE)

揺るがない信仰に立つように必要な試練を与えられるのです

5月1日

「主よ、わたしをためし、わたしを試み、わたしの心と思いとを練りきよめてください。」詩篇26:2

 “あるようでないのが信仰”と冗談で言われますが、まさに信仰があるかないか、自分ですらもはっきりしません。どれほどの信仰があるか、それを知るために試みられます。学校で定期試験があるのも自分の学習度がどの程度であるかを計るのと同様です。神様は私たちが揺るがない信仰に立つようになることを願っています。そのために必要な試練を与えられるのです。大いに練り清められ、キリストに似るものとなりたいものです。(KE)

親鳥がその雛を羽でおおうように神様は私たちを守り、生かし、持ち運んでくださるのです。

4月30日

「主はその羽をもって、あなたをおおわれる。あなたはその翼の下に避け所を得るであろう。そのまことは大盾、また小盾である。」詩篇91:4

 神様は私たちの創造者です。この世にある限り、神様は私たちを守り、生かし、持ち運んでくださるのです。まるで親鳥がその雛を羽でおおうように。しかし、現実にはどこにもそれらしきものが見えません。そのために神様を疑うようになりますが、それは間違いです。神様は“まこと”であり、真実・誠実に造り主としての製造者責任を果たされます。そこに私たちの安心と望みがあるのです。(KE)

神様は暗い事態や状況に財宝や宝物を隠しておられます

4月29日

「あなたに、暗い所にある財宝と、ひそかな所に隠した宝物とを与えて、わたしは主、あなたの名を呼んだイスラエルの神であることをあなたに知らせよう。」イザヤ45:3

 人生には願わない事態、嫌悪すべきことなどに遭遇することがしばしばあります。それは“暗い所”であり、“ひそかな所”です。そんなところに宝と言えるものは無いように見えます。しかし、神様はそのような事態や状況に財宝や宝物を隠しておられて、私たちに神様を感歎賛美させ、涙を喜びに、憂いを笑いに変えて下さるのです。(KE)

命をいとわないで神様に信頼した結果、神様は真実に答えて下さったのです

4月28日

「これは彼が自分の神を頼みとしていたからである。」ダニエル6:23b

 ダリヨス王がペルシャの王となったとき、有能なダニエルを信頼しました。そのことに反感を抱いた者たちが彼を貶める法律を作ったのです。それは王様に願い事をすることでした。神に祈るなら、ししの穴に投げ込むと。ダニエルはいつものように神に祈ったので、捕らえられてししの穴に投げ入れられましたが、なにも害を受けませんでした。その理由がこのみ言葉です。命をいとわないで神様に信頼した結果、神様は真実に答えて下さったのです。あなたも神様に賭けてみませんか。(KE)

最善の基準は「主の御旨」に従う事です

4月27日

「だから、愚かな者にならないで、主の御旨がなんであるかを悟りなさい。」エペソ5:17

 日々の生活にあって、私たちは「選択と決断」が常に求められます。右か左か、前か後ろか、間違いのない選択を願います。多くの場合、自分にとって「損か得か」、あるいは「費用対効果」などの基準に沿って決断しますが、悔やむ結果になります。最善の基準は「主の御旨」に従う事です。そのために祈らなければ知り得ません。事に取り掛かるとき、まず祈って主のみ思いを求めてください。そうすれば満足する結果を得ることができます。(KE)

感謝してありのままにすべてを「よし」としようではありませんか

4月26日

「神の造られたものは、みな良いものであって、感謝して受けるなら、何ひとつ捨てるべきものはない。」第一テモテ4:4

  森羅万象、すべてのものは神様の創造によるものです。私たちもまた造られたものであり、神様の作品です。しかも、造り主なる神様は完全なる方であって、失敗作などありません。すべてが傑作・自信作です。人は神様の思いを知りつくせないゆえに、身勝手な評価を下して、「良い」「悪い」をあげつらいます。まず、感謝してありのままにすべてを「よし」としようではありませんか。(KE)