結論を出されるのは神様です

3月13日

「人はその短く、むなしい命の日を影のように送るのに、何が人のために善であるかを知ることができよう。」伝道6:12a

 神様が備えられた永遠の時間のなかで、人の一生はあまりにも短いものです。あなたの今日の一日は、神様の手に握られた永遠の時のほんの一コマにすぎません。今日という一日があなたにとって善かったか、悪かったかを決めることはできません。ジグソーパズルの小さなピースであり、欠くことのできないものです。ただ、今、力を尽くしてなし得ることを果たすだけです。結論を出されるのは神様です。(KE)

受け入れられないでいるとき、実は神様に対して怒っているときなのです

3月12日

「あなたは神と和らいで、平安を得るがよい。そうすれば幸福があなたに来るでしょう。」ヨブ22:21

 カインは弟アベルの捧げものが神様に喜ばれ、自分のささげものは退けられたことで、アベルを殺しました。カインは神様のやり方に憤ったのです。その結果、罪のないアベルの死になりました。自分は不幸だと思っているとき、与えられた境遇や処遇を受け入れられないでいるとき、実は神様に対して怒っているときなのです。十字架によって与えられた和解を受けて、神様の手に委ね切るとき、あなたは幸福な者となります。(KE)

人は自分の欲や感情、メンツやツッパリのために、「時」を逃すのです

3月11日

「神のなされることは皆その時にかなって美しい。」伝道3:11a

 物事にはタイミング、チャンスというべきものがあります。その時をはずすと滑稽だったり、相手に失礼であったり、周囲の人を不愉快にさせたりすることにもなります。仕事の上でも、家庭でのことでも、「時」にかなったときほど痛快なことはありません。しかし、人は自分の欲や感情、メンツやツッパリのために、「時」を逃すのです。最善のときを知っておられるのは神様だけです。神様の導きに従う以外、好機をつかむことはできません。(KE)

よみがえられた主は、信じるあなたと共に居てくださいます

3月10日

「主ご自身、試錬を受けて苦しまれたからこそ、試錬の中にある者たちを助けることができるのである。」ヘブル2:18

 イエス様は人に捨てられ、侮られ、裏切られるなど、人の受ける苦しみ、悩み、病、弱さをつぶさに実体験し、ついには罪人とされて、十字架の刑を受けられました。今、よみがえられた主は、信じるあなたと共に居てくださいます。そればかりか、あなたを助けることが出来る方です。躊躇しないで、また遠慮なく、切に主を呼び求めようではありませんか。主はあなたを助けたくて待っておられます。(KE)

主は今も生きて、あなたのそばに立っておられます

3月9日

「イエスは女に言われた、『女よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか』。」ヨハネ20:15

 イエス様を亡くして失望したマリヤはよみがえられた主を見ることができなくて、泣いていました。主は彼女に声をかけてくださいました。そのように、主は今も生きて、あなたのそばに立っておられます。望みを失い、悲しみにあるとき、泣かなくても良いのです。死に勝利した主を信じてください。主はあなたに新しい命を与え、喜び、感謝し、輝いて生きる者として下さいます。(KE)

人の覚悟、決心などは、まことに弱く、脆いものです

3月8日

「シモンが言った、『主よ、わたしは獄にでも、また死に至るまでも、あなたとご一緒に行く覚悟です』。」ルカ22:33

 弟子ペテロはイエス様の十字架の死を目前に、勇ましく宣言しましたが、自分の命が危うくなると、一転して主を知らぬと否定します。人の覚悟、決心などは、まことに弱く、脆いものです。ペテロの不真実を誰も責めることはできません。主の深く、大きな愛に触れて、後にペテロはキリストのために殉教する者となりました。神様の愛に満たされるとき、人は全く変わります。(KE)

神様を畏れず、自分を神とするあなたのための祈りでもあります

3月7日

「そのとき、イエスは言われた、『父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです』。」ルカ23:34

 イエス様がご自分を十字架に釘づける者たちのために祈る取り成しの祈りです。これは昔のことではありません。神様を畏れず、自分を神として、怒りとつぶやき、神様すら呪うあなたのための祈りでもあります。イエス様が十字架で受けられた刑罰はあなたに向けられた神様の怒りと罰であり、主はご自分の命を賭して身代わりとなったのです。今日も、主の取り成しによって赦されているのです。(KE)

神様の思いを私たちは知り尽くせないからです

3月6日

「イエスは彼に答えて言われた、『わたしのしていることは今あなたにはわからないが、あとでわかるようになるだろう』。」ヨハネ13:7

 すべての事は神様の創造の結果であり、そのわざです。人生のさまざまな事態や事件、すべての事の目的や意味がわからないことばかりです。それは人の計画と知恵によるのではなく、神様の思い、考え、計画によるものであり、私たちは知り尽くせないからです。しかし、今そのわけがわからなくても、神様は最善をしてくださると信じていくとき、やがて主の深いみ旨を悟り、感謝することでしょう。(KE)

自分で生きるのではありません。キリストによって生かされるのです。

3月5日

「生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられるのである。」ガラテヤ2:20

 力に満ちた言葉です。自分で生きるのではありません。キリストによって生かされるのです。主の十字架の死を自分がそこに死んだと信じるとき、今、生きているのが自分ではなく、よみがえったイエス様がわたしを生かして下さっていると確信します。主に生かされていることを信じるとき、恐れ、不安、失望、悲しみなど、“わたし”が感じていたものは消えてしまいます。わたしは死んだのですから。(KE)

種としての姿形が失われるとき成長して実を豊かに結ぶようになります

3月4日

「よくよくあなたがたに言っておく。一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる。」ヨハネ12:24

 麦の種が地に埋められ、分解して、その種としての姿形が失われるとき、新しい芽が生え、成長して実を豊かに結ぶようになります。イエス様が十字架に死んでくださったのは、信じるあなたが死んだことなのです。主を信じて生きるとき、もはや自分が生きるのではなく、新しい命に生かされているのです。(KE)