3月23日
「彼は、万物をご自身に従わせうる力の働きによって、わたしたちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じかたちに変えて下さるであろう。」ピリピ3:21
自分を変えようとしても、人は出来ません。イエス様は死からよみがえることによって、肉にある卑しいからだを、神様の栄光のからだへと変えられました。それはイエス様を信じるあなたをも造り変えて、主と同じ姿に変えて下さる保証です。今、あなたがどんなに卑しく、また穢れていても失望することはありません。イエス様を信じましょう。(KE)
3月23日
「彼は、万物をご自身に従わせうる力の働きによって、わたしたちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じかたちに変えて下さるであろう。」ピリピ3:21
自分を変えようとしても、人は出来ません。イエス様は死からよみがえることによって、肉にある卑しいからだを、神様の栄光のからだへと変えられました。それはイエス様を信じるあなたをも造り変えて、主と同じ姿に変えて下さる保証です。今、あなたがどんなに卑しく、また穢れていても失望することはありません。イエス様を信じましょう。(KE)
3月22日
「あなたがたのうちに働きかけて、その願いを起させ、かつ実現に至らせるのは神であって、それは神のよしとされるところだからである。」ピリピ2:13
神様は人の心に働きかけて、ご自身のご目的を果たそうとされます。あなたの心に予期しない思いや願いが与えられるとき、戸惑ったり、躊躇したりしますが、その思いを打ち消さず、祈りつつ、主のみこころを確信して、踏み出すことが大切です。目の前の諸般の条件を考えて、損得を計算すると失敗します。主の導きを信じて進みましょう。(KE)
3月21日
「気をつけて、目をさましていなさい。その時がいつであるか、あなたがたにはわからないからである。」マルコ13:33
「その時」とは世の終り、終末の時のことですが、そればかりではなく、この世での命の終りの時とも言えます。人は愚かな者で、今、自分がどんなに危機的な時にあるかを知りません。だから、気楽にして居られるとも言えますが、後悔する時が必ず来ます。自分の終りの時も含めて、すべてが終る時をはっきり意識して、今日なすべきことを果たしておきましょう。(KE)
3月20日
「何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。」ピリピ4:6
嬉しいことではないですか。どんなことでも神様に申し上げなさいと勧めて下さるのですから。あなたの祈りを、願いを聞こうと言ってくださる神様がどこにいるでしょうか。どうぞ、遠慮なく、どんなことでも祈ってください。祈り方や特別な言葉はありません。あなたが家族に話すように主に語るのです。最後に「主の御名によって」と結んでください。(KE)
3月19日
「子たちよ。わたしたちは言葉や口先だけで愛するのではなく、行いと真実とをもって愛し合おうではないか。」第一ヨハネ3:18
私たちには他者(ひと)を愛する真の愛がありません。あるのは自分を愛する自己愛だけです。真実に人を愛するには自分が神様からどんなに深く愛されているかを知らなければなりません。罪人である私たちのために命を捨てて下さった愛を深く感じ、それに応答して自分を捨て、無償の愛に踏み出すとき、真実の愛が全うされます。主の十字架を見上げて、そこにある愛に溢れる者となりましょう。(KE)
3月18日
「わたしは、自分を強くして下さったわたしたちの主キリスト・イエスに感謝する。」第一テモテ1:12a
人は弱いので、強くなろうと努力します。他人(ひと)の噂、死の恐れ、経済的な不足、嫌われることの恐れ、など、いろんなことで動かされ、ひとときも休まりません。しかし、あなたがキリストと共に十字架に死んだものとなりきって、主によって生かされていることを確信するとき、失うことを恐れず、さまざまな風評に動かされず、どんなものにも囚われず、強く立つことが出来ます。(KE)
3月17日
「しかし、まだ罪人であった時、わたしたちのためにキリストが死んで下さったことによって、神はわたしたちに対する愛を示されたのである。」ローマ5:8
わたしたちの事情・境遇の善し悪しによって神様の愛を知ることも、量ることもできません。ただ、十字架を立てて、罪を赦し、神様はあなたを御手に握って下さったことによって“愛”を示してくださいました。値打ちも、価値もない者のために、命を捨てて下さった愛、この愛を信じて、感動して、愛に応答して生きるとき、命と力が湧いてきます。(KE)
3月16日
「だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである。」第二コリント5:17
だれでも一度や二度、自分に失望落胆し、できれば死んでやり直したいと思うことがあります。しかし、そんなことは出来ないと思っています。実は、やり直せる道があるのです。その道は「キリストにあるならば」というのです。十字架に自分は死んだ者とし、イエス様によって今日も生かされていることを信じるのです。新しい命を体験することができます。(KE)
3月15日
「あなたがたのうち、だれが思いわずらったからとて、自分の寿命をわずかでも延ばすことができようか。」マタイ6:27
自分の事は自分が知っていると言いますが、人はそれほど賢いものでしょうか。なんでも「自分が」「自分が」と言いながら、自分の命すら延ばすこともできないのです。それは自分で生きているのではなく、神様の赦しがあって、生かされているからです。生きるのも死ぬのも、主のみ手にあります。だから、なにも心配しないで、主に任せようではありませんか。(KE)
3月14日
「主よ、わたしは知っています、人の道は自身によるのではなく、歩む人が、その歩みを自分で決めることのできないことを。」エレミヤ10:23
毎日の歩みを人は自分で選択して、実行しているように思っています。しかし、実際のところ、人の思い通りに進んでいるわけではありません。世間の動き、周囲の人との関係、経済的な理由、意固地になった思いなど、無数の要素に影響されているように見えます。しかし、全ての歩みは神様によって備えられたものであって、人はどんなにしてもそこから逃れることは出来ません。(KE)