5月11日
「人は何者なので、これをみ心にとめられるのですか、人の子は何者なので、これを顧みられるのですか。」詩篇8:4
神様がひとり子を十字架につけるほどに私たちを愛してくださるとは、なんとおどろいたことでしょう。そうしてもらう値打ちや価値があるというのでしょうか。ただ、神様の一方的な愛によると言うほかありません。これほどの愛を抱いて下さる方があなたのために悪しきことをなさるでしょうか。そればかりか、休みなく私たちにみ心を向けてくださっているのです。感謝するほかありません。(KE)
5月11日
「人は何者なので、これをみ心にとめられるのですか、人の子は何者なので、これを顧みられるのですか。」詩篇8:4
神様がひとり子を十字架につけるほどに私たちを愛してくださるとは、なんとおどろいたことでしょう。そうしてもらう値打ちや価値があるというのでしょうか。ただ、神様の一方的な愛によると言うほかありません。これほどの愛を抱いて下さる方があなたのために悪しきことをなさるでしょうか。そればかりか、休みなく私たちにみ心を向けてくださっているのです。感謝するほかありません。(KE)
5月10日
「わが思いは、あなたがたの思いとは異なり、わが道は、あなたがたの道とは異なっていると主は言われる。」イザヤ55:8
人は神様の思いや計画、考えを知ることができません。森羅万象、全てのものが神様の支配にあるのですから、人がいくら頑張ってみても、神様のなさることを予測するなどできるはずはありません。だから、分からない事、知らない事、できない事があるのは至極当然。そんなことで悩んだり、悲観するのは無駄です。どう転んでも神様のご支配から離れることはできないのです。だったら、神様に任せましょう。(KE)
5月9日
「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。」ヨハネ3:16
神様は創世の初めから、私たちを愛してやまない方です。しかし、同時に「義」なる方ですから、不義や罪をないがしろにすることはできません。厳しく怖い神様と思われるのはそのためです。愛と義を両立させるただ一つの道はひとり子イエス様を十字架につけることでした。それによって、神様は「愛」をあかしされたのです。十字架を見上げて、神様の愛に潤されましょう。(KE)
5月8日
「主を仰ぎ見て、光を得よ、そうすれば、あなたがたは、恥じて顔を赤くすることはない。」詩篇34:5
神様は光のような方であると言われています。光には陰とか曇りなどはありません。神様に心を向けるとき、神様の光が心を照らし、内なる汚れや曇り、陰になっているところなどを探られます。しかし、それによって私たちを清めて下さるのです。神様の光にいつも照らされているとき、誰に対しても恥じたり、後ろ指を指されるようなことはありません。主よ、今日もあなたの光をてらして、心を清めてくださいと求めましょう。(KE)
5月7日
「各自は惜しむ心からでなく、また、しいられてでもなく、自ら心で決めたとおりにすべきである。神は喜んで施す人を愛して下さるのである。」第二コリント9:7
神様が私たちに求められるのは、どんなことにあっても「自発」のわざであることです。強いられたり、義理や人情に流されてすることを主は徹底して排除されます。それが当然なすべきことであっても、その動機が「自発」でなければ神様の喜ばれるものとなりません。しかも、自発の思いの中に主の愛への応答であることが不可欠です。主の喜ばれる道を歩んでください。(KE)
5月6日
「あなたがたは、代価を払って買いとられたのだ。それだから、自分のからだをもって、神の栄光をあらわしなさい。」第一コリント6:20
「買い取る」とは所有権が代価を払った者へ移転することです。私たちは本来神様の所有でした。ところが、持ち主の手から失われて、神様でない者に所有されていたのです。しかも、その持ち主は悪意に満ち、混乱と争い、我利我欲などによって私たちを悲惨な者に変えてしまいました。イエス様を信じるとき、あなたの所有者が神様に変わります。今日も神様はあなたをご自分の目的に用いられます。(KE)
5月5日
「あなたはわが目に尊く、重んぜられるもの、わたしはあなたを愛するがゆえに、あなたの代りに人を与え、あなたの命の代りに民を与える。」イザヤ43:4
神様の熱烈な愛の告白です。これほど大切に思ってくれる人がいるでしょうか。あなたのためならばどんなものでも惜しくないというのですから。それほどまでに思いを寄せて下さる方に、片思いで終わらせようというのでしょうか。否、私たちも劣らず熱い思いを主に捧げようではありませんか。神様との相思相愛こそ人の幸せの極みです。(KE)
5月4日
「信仰の戦いをりっぱに戦いぬいて、永遠のいのちを獲得しなさい。」第一テモテ6:12a
信仰生活は生涯をかけて持続するもので、卒業や終了はありません。また、最後までまっとうしなければ結果を得られません。8割、9割続いたから、合格と言えないのです。長い年月の間には信仰の戦いが必ずあります。その中心は不信仰との戦いです。具体的には様々な形がありますが、現実の生活の中で信仰を持ち続ける努力を続けてください。神様からの報いである「永遠のいのち」を目指して、主にすがりつつ戦いに勝利しましょう。(KE)
5月3日
「まことに人はだれも自分をあがなうことはできない。そのいのちの価を神に払うことはできない。」詩篇49:7
神様は私たちを造られた方です。ということは、私たちは本来神様に所有された者です。ところがサタンは神様から私たちを盗んで、命も人生もすべて自分のものだと思わせているのです。私たちは何一つ自分のものはなく、全て神様のものなのです。もし、神様から所有権を買い取ろうとするなら、その代価を払うことができません。私たちはそれほど高価なものだからです。(KE)
5月2日
「イエスは彼らを見つめて言われた、『人にはできないが、神にはできる。神はなんでもできるからである』。」マルコ10:27
人はあくまでも被造物であり、相対的な存在です。神様は創造者であり、絶対的な方です。それゆえ、人の力は限りあるものであって、なし得ることも限られています。否、「できない」というほうが正確でしょう。一方、神様はオールマイティ、全能者、できない事のない方です。だからこそ、人は神様に頼らなければ生きることができません。なんでもできる神様のみ手のなかにあることを信じましょう。(KE)