神様に対する期待度は私たちの信仰によります

7月10日

「あなたの天幕の場所を広くし、あなたのすまいの幕を張りひろげ、惜しむことなく、あなたの綱を長くし、あなたの杭を強固にせよ。」イザヤ54:2

 人に何かを期待する時、相手の能力を推し量ります。場合によっては、この人ではなく、あの人にとなります。ところで、神様に対してはどうでしょうか。神様に対する期待度は私たちの信仰によります。どんなことでもできないことはありませんと、大きく、大きく期待しようではありませんか。神様に遠慮は禁物です。場所を広げ、綱をながくし、しっかり杭を打ってください。(KE)

大切なのはどのように生きるかであって、人生の長短は関係ありません

7月9日

「罪びとで百度悪をなして、なお長生きするものがあるけれども、神をかしこみ、み前に恐れをいだく者には幸福があることを、わたしは知っている。」 伝道8:12

 昨今の日本は長生きする人々が増加しました。しかし、長く生きることが幸せだとは言えません。大切なのはどのように生きるかであって、人生の長短には関係ありません。神様を畏れかしこみ、毎日、喜び、感謝、平安、望みなど生きる命に輝いて生きるなら、たとえ短い生涯であっても、なんと幸いなことでしょうか。(KE)

忠実に従う彼に、神様もまた真実に応えてくださいます

7月8日

「アブラハムは言った、『子よ、神みずから燔祭の小羊を備えてくださるであろう』。こうしてふたりは一緒に行った。」創世記22:8

 アブラハムはイサクを燔祭の犠牲として奉げるように命じられたとき、神様の言葉に従って即座に指示されたところへ出かけました。彼が神様を全く信頼していたので、どんな事態になろうと大丈夫だと確信したのです。忠実に従う彼に、神様もまた真実に応えてくださいます。イサクを祭壇に奉げきった時、間髪を入れず、神様は燔祭の小羊を備えられました。アブラハムの信仰の勝利です。(KE)

神様の本意は常に「赦そう」としておられるのです

7月7日

「神は彼らのなすところ、その悪い道を離れたのを見られ、彼らの上に下そうと言われた災を思いかえして、これをおやめになった。」ヨナ3:10

 ヨナは悪に満ちたニネベに行き、神様の怒りを伝えるよう命じられましたが、勝手にタルシシへ逃げました。しかし、不思議な取り扱いでニネベに来て、神様の警告を伝えました。人々が悔い改めたので、神様は心を変えました。神様の本意は常に「赦そう」としておられるのです。決して懲罰を加えようとなさるのではありません。神様の深い思いを悟って、赦しを受けてください。(KE)

信じるとは石を取り除けることです

7月6日

「イエスは彼女に言われた、『もし信じるなら神の栄光を見るであろうと、あなたに言ったではないか』。」ヨハネ11:40

 ラザロは死んで墓に葬られていました。イエス様は来られて、墓の石を取り除けなさいと命じました。しかし、マルタもマリヤもイエス様を信じていましたが、目に見える現実の事態に引っぱられ、石を取り除けようとしません。しかし、信じるとは石を取り除けることです。具体的な行為を伴わない信仰は死んだものです。石を取り除けた結果、ラザロは死からよみがえったのです。(KE)

塩はその本来のききめがなければ、無用なものです

7月5日

「あなたがたは、地の塩である。もし塩のききめがなくなったら、何によってその味が取りもどされようか。」 マタイ5:13ab

 塩はその本来のききめがなければ、無用なものです。部屋の飾りにもなりません。また、眺めて楽しむものでもありません。同様に、私たちも創造者である神様の意図に適って生きるのではなければ、まさに無用なものです。塩は腐敗防止や味を調えるのに必要不可欠です。私たちもこの世にあって「塩」の役割を果たす者となりたい。それが造られた者の使命だからです。(KE)

人それぞれに個性があり、必ずしも好ましいものばかりとはかぎりません

7月4日

「されど主よ、あなたはわれわれの父です。われわれは粘土であって、あなたは陶器師です。われわれはみな、み手のわざです。」イザヤ64:8

 「十人十色」と言いますが、人それぞれに個性があり、特徴があります。それらは必ずしも好ましいものばかりとはかぎりません。人に嫌われる性情・性格だったりしますが、それもまた大切な個性でもあります。金太郎飴のように、同じ形で同じ色ばかりなら、これほどつまらないものはありません。神様は名陶器師です。一つとして同じものはありません。あなたもみ手のわざです。(KE)

イザというときに、役に立たない信仰だったら、むしろ無いほうがいいかもしれません

7月3日

「イエスは彼らに言われた、『あなたがたの信仰は、どこにあるのか』。」ルカ8:25a

 ガリラヤ湖を舟で渡っていたとき、突然の風に翻弄され、死ぬかと思うほど恐れを感じ、弟子たちは大慌てで、眠っていたイエス様を起こしました。主は風と荒浪とを叱り、なぎになりました。これはその時の主の言葉です。イザというときに、役に立たない信仰だったら、むしろ無いほうがいいかもしれません。そうならないために、日々、信仰に立つ訓練をつとめようではありませんか。(KE)

イエス様の嫌われることの一つは、形式主義になることです

7月2日

「人は羊よりも、はるかにすぐれているではないか。だから、安息日に良いことをするのは、正しいことである。」マタイ12:12

 イエス様の嫌われることの一つは、教条主義というか、形式主義になることです。安息日を守る律法に忠実なあまり、苦しむ人を助けようとしないパリサイ人を非難しました。規則や言い伝えを守ることは大切ですが、しかし、そのために身動き取れなくなるのは本末転倒です。聖書のことばも表面的な意味に縛られず、背後にある神様のみ思いを汲み取ってください。神様の語り掛けですから。(KE)

想像しなかったほどの物質的繁栄を得ましたが、大切な心を失いました

7月1日

「平穏であって、ひとかたまりのかわいたパンのあるのは、争いがあって、食物の豊かな家にまさる。」 箴言17:1  

人生を生きるにあたって何を大切なものとするか、価値観の問題でもあります。戦後、物の豊かさ、生活の快適さを求めて労苦してきました。今や、想像しなかったほどの物質的繁栄を得ましたが、大切な心を失いました。国のあり様から、個人の生活に至るまで、不安、苛立ち、暴力、孤独などに取り囲まれ、虚脱感が蔓延して、生きる命を失ったのです。まず今日の一日から、命を取りもどす選択をしましょう。(KE)