キリストの言葉を聞き、従い、行うことです

12月14日

「わたしにむかって『主よ、主よ』と言う者が、みな天国にはいるのではなく、ただ、天にいますわが父の御旨を行う者だけが、はいるのである。」マタイ7:21

「天国にはいる」とは、神様に罪許され、義なる人となることです。そうなるにはキリストの言葉を聞き、従い、行うことです。ともすると、沢山の言葉を聞いて知っていても、行おうとしません。行わなければいつまでも“絵に描いた餅”であって、腹の足しにもなりません。出来る出来ないは別にして、とにかくみことばを行おうではありませんか。(KE)

全部が全部、是非とも今日でなければとも言えません

12月13日

「しかし、無くてならぬものは多くはない。いや、一つだけである。」ルカ10:42ab

毎日忙しく過ごすことが現代人の特徴であるように思われます。次から次へと、しなければならないことが湧いてきます。勿論、その中にはテレビを見たり、ジムへ出かけたり、趣味の仲間との付き合いもあります。どれをとっても明らかに「無駄だ」といえるものはありません。しかし、全部が全部、是非とも今日でなければとも言えません。このみことばにあるように、物事の優先順位を明確にし、取捨選択をしっかりしましょう。(KE)

神様はみ言葉に従うことを喜ばれます それは今も変らない真理です

12月12日

「サムエルは言った、『主はそのみ言葉に聞き従う事を喜ばれるように、燔祭や犠牲を喜ばれるであろうか』。」サムエル上15:22a

サウル王様の失敗は幾つかありますが、決定的なことは、神様の言葉に従わなかったことです。神様のために大きな犠牲を払おうとも、祭りをもって神様を称えようとも、神様はみ言葉に従うことを喜ばれます。それは今も変らない真理です。常に、心を主に向けて、み言葉を通して語ってくださる御心を汲み取って、それに全く従うものとなりましょう。神様はそれを喜んでくださいます。(KE)

孤立無援で孤独を感じる時、この言葉を信じて神様を呼んでください

12月11日

「とこしえにいます神はあなたのすみかであり、下には永遠の腕がある。」申命記33:27a

神様が私たちの住まいとなってくださるとは、なんと心強いことでしょうか。しかも、神様は永遠の腕をもって私たちを支えてくださるというのですから。どんな思いがけない事態や事にあたっても、恐れることはありません。いつでも逃げ帰り、隠れるところがあるのです。あなたが孤立無援で孤独を感じる時、この言葉を信じて神様を呼んでください。必ず、手ごたえを感じ、自分一人ではないことを知るでしょう。(KE)

人は造られたもの、創造者を越えることはできません

12月10日

「見よ、わたしは主である、すべて命ある者の神である。わたしにできない事があろうか。」エレミヤ32:27

私たちは人の世に住んでいます。そこはなにもかもすべてが、人、人、人のわざばかりです。弱くて無知な者達が自らを主とし、神様に取って代わるものの如く振舞っています。しかし、どんなことをしようと、所詮人は造られたもの、創造者を越えることはできません。造り主なる神様は出来ないことのない、全能者です。その方の手に握られ、振り回され、持ち運ばれています。無駄な抵抗は止めて、御心のままに委ねましょう。(KE)

服装によって、その人が評価されることもあります

12月9日

「キリストに合うバプテスマを受けたあなたがたは、皆キリストを着たのである。」ガラテヤ3:27

「キリストを着た」とは不可解な言葉に思われますが、イエス様と私たちとの関係を表すにはこれ以上の比喩はありません。どのような服装であるかによって、着ている人の思いや感情、思考が表れます。また、服装によって、その人が評価されることもあります。今日のあなたは何を着ていますか。ネクタイにスーツ? それともジャージの上下?それはどちらであっても構いませんが、心にキリストをしっかり着てください。(KE)

人の知恵や知識で理解しようとしても矛盾だらけです

12月7日

「聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である。」第二テモテ3:16

聖書ほど不思議なものはありません。長い年月をかけ、神様の霊がそれぞれの人々に臨んで、書かれたものですから、人の知恵や知識で理解しようとしても矛盾だらけです。しかし、神様の言葉であると信じて、従うとき、人の想像を越えた、思いがけない体験をすることになります。また、自分の思考や感情、生活のあり方など、いろんなところが変ってきます。ぜひ、体験してください。(KE)

 

今日も許され、生かされています

12月6日

「わたしたちが神の子と呼ばれるためには、どんなに大きな愛を父から賜わったことか、よく考えてみなさい。」第一ヨハネ3:1a

“喉もと過ぎれば熱さ忘れる”と言われるように、人はとても忘れやすい性分です。神様から離れて、滅びの道を進んでいた私たちを、愛するゆえに憐れんで、ひとり子イエス様を世に遣わして救ってくださいました。神様が払った代償は多大なものです。そのゆえに、今日も許され、生かされています。あなたの境遇が願わないものであっても、神様のご犠牲に比べれば、何と小さなことでしょうか。(KE)

どんなときにもイエス様を見上げて、その後についていくことです

12月5日

「信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか。」ヘブル12:2a

自分の努力や力で信仰をまっとうすることはできません。信仰は神様からの賜物です。信仰に生きる生涯をまっとうするには、どんなときにもイエス様を見上げて、その後についていくことです。イエス様は私たちの信仰を完成に導かれる方だからです。また、先達に付いていくのは楽ですし、安心です。まるで添乗員に先導される旅行者のように、今日の一日も、イエス様に目を注いで、そのあとに従って行きましょう。(KE)

「場」を捨て、離れなければ、イエス様に従うことはできません

12月4日

「よき師よ、永遠の生命を受けるために、何をしたらよいでしょうか。」マルコ10:17b

イエス様のもとにひとりの人が来て尋ねた言葉です。その答えは「わたしに従ってきなさい」でした。しかも、持ち物を売り払い、貧しい人に施してと。「永遠の生命」はイエス様ご自身であること、またイエス様に従うことが「永遠の生命」です。主が神の位を捨てて世にこられたように、自分の守っている「場」を捨て、離れなければ、イエス様に従うことはできません。それは今も変らない真理です。(KE)