「主は、わたしたちの罪過のために死に渡され、わたしたちが義とされるために、よみがえらされたのである。」ローマ4:25
神様の独り子であるイエス様が神の位を離れて、人の世にくだり、私たちの罪をあがなう犠牲となって十字架に死んでくださいました。これによって、信じる私たちをきよめてくださった。それだけでなく、イエス様を死からよみがえらせて、信じる私たちを常に神様と共に生きるようにしてくださいました。これが「義とされる」ことです。(KE)
「主は、わたしたちの罪過のために死に渡され、わたしたちが義とされるために、よみがえらされたのである。」ローマ4:25
神様の独り子であるイエス様が神の位を離れて、人の世にくだり、私たちの罪をあがなう犠牲となって十字架に死んでくださいました。これによって、信じる私たちをきよめてくださった。それだけでなく、イエス様を死からよみがえらせて、信じる私たちを常に神様と共に生きるようにしてくださいました。これが「義とされる」ことです。(KE)
12月15日
「あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている。」ヨハネ16:33bcd
イエス様を信じて救われても、実際の生活にはこれと言って大きな変化はありません。住むところも、着るものも、食べるものも同じです。さらに悩みすらもあります。しかし、世のものと違うものがあります。イエス様が主となっていつも共にいてくださることです。主は人の世の悩み、苦しみ、悲しみ、病を知り、私たちの心を思いやり、慰め労わり、力を与え、知恵を満たして全てに勝利させてくださいます。(KE)
12月14日
「わたしにむかって『主よ、主よ』と言う者が、みな天国にはいるのではなく、ただ、天にいますわが父の御旨を行う者だけが、はいるのである。」マタイ7:21
「天国にはいる」とは、神様に罪許され、義なる人となることです。そうなるにはキリストの言葉を聞き、従い、行うことです。ともすると、沢山の言葉を聞いて知っていても、行おうとしません。行わなければいつまでも“絵に描いた餅”であって、腹の足しにもなりません。出来る出来ないは別にして、とにかくみことばを行おうではありませんか。(KE)
12月13日
「しかし、無くてならぬものは多くはない。いや、一つだけである。」ルカ10:42ab
毎日忙しく過ごすことが現代人の特徴であるように思われます。次から次へと、しなければならないことが湧いてきます。勿論、その中にはテレビを見たり、ジムへ出かけたり、趣味の仲間との付き合いもあります。どれをとっても明らかに「無駄だ」といえるものはありません。しかし、全部が全部、是非とも今日でなければとも言えません。このみことばにあるように、物事の優先順位を明確にし、取捨選択をしっかりしましょう。(KE)
12月12日
「サムエルは言った、『主はそのみ言葉に聞き従う事を喜ばれるように、燔祭や犠牲を喜ばれるであろうか』。」サムエル上15:22a
サウル王様の失敗は幾つかありますが、決定的なことは、神様の言葉に従わなかったことです。神様のために大きな犠牲を払おうとも、祭りをもって神様を称えようとも、神様はみ言葉に従うことを喜ばれます。それは今も変らない真理です。常に、心を主に向けて、み言葉を通して語ってくださる御心を汲み取って、それに全く従うものとなりましょう。神様はそれを喜んでくださいます。(KE)
12月11日
「とこしえにいます神はあなたのすみかであり、下には永遠の腕がある。」申命記33:27a
神様が私たちの住まいとなってくださるとは、なんと心強いことでしょうか。しかも、神様は永遠の腕をもって私たちを支えてくださるというのですから。どんな思いがけない事態や事にあたっても、恐れることはありません。いつでも逃げ帰り、隠れるところがあるのです。あなたが孤立無援で孤独を感じる時、この言葉を信じて神様を呼んでください。必ず、手ごたえを感じ、自分一人ではないことを知るでしょう。(KE)
12月10日
「見よ、わたしは主である、すべて命ある者の神である。わたしにできない事があろうか。」エレミヤ32:27
私たちは人の世に住んでいます。そこはなにもかもすべてが、人、人、人のわざばかりです。弱くて無知な者達が自らを主とし、神様に取って代わるものの如く振舞っています。しかし、どんなことをしようと、所詮人は造られたもの、創造者を越えることはできません。造り主なる神様は出来ないことのない、全能者です。その方の手に握られ、振り回され、持ち運ばれています。無駄な抵抗は止めて、御心のままに委ねましょう。(KE)
12月9日
「キリストに合うバプテスマを受けたあなたがたは、皆キリストを着たのである。」ガラテヤ3:27
「キリストを着た」とは不可解な言葉に思われますが、イエス様と私たちとの関係を表すにはこれ以上の比喩はありません。どのような服装であるかによって、着ている人の思いや感情、思考が表れます。また、服装によって、その人が評価されることもあります。今日のあなたは何を着ていますか。ネクタイにスーツ? それともジャージの上下?それはどちらであっても構いませんが、心にキリストをしっかり着てください。(KE)
12月7日
「聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である。」第二テモテ3:16
聖書ほど不思議なものはありません。長い年月をかけ、神様の霊がそれぞれの人々に臨んで、書かれたものですから、人の知恵や知識で理解しようとしても矛盾だらけです。しかし、神様の言葉であると信じて、従うとき、人の想像を越えた、思いがけない体験をすることになります。また、自分の思考や感情、生活のあり方など、いろんなところが変ってきます。ぜひ、体験してください。(KE)
12月6日
「わたしたちが神の子と呼ばれるためには、どんなに大きな愛を父から賜わったことか、よく考えてみなさい。」第一ヨハネ3:1a
“喉もと過ぎれば熱さ忘れる”と言われるように、人はとても忘れやすい性分です。神様から離れて、滅びの道を進んでいた私たちを、愛するゆえに憐れんで、ひとり子イエス様を世に遣わして救ってくださいました。神様が払った代償は多大なものです。そのゆえに、今日も許され、生かされています。あなたの境遇が願わないものであっても、神様のご犠牲に比べれば、何と小さなことでしょうか。(KE)