7月19日
「岩の裂け目、がけの隠れ場におるわがはとよ、あなたの顔を見せなさい。あなたの声を聞かせなさい。あなたの声は愛らしく、あなたの顔は美しい。」雅歌2:14
イエス様と私たちの関係を語っていると理解してください。イエス様は命を捨てて、私たちを救い出してくださいました。その動機は「愛」です。私たちを愛するゆえに、顔を見せ、声を聞かせよと求めておられます。顔を見せないこと、愛する人に声を聞かせないことがあるでしょうか。主はあなたが祈り、心を向けることを待っておられます。(KE)
7月19日
「岩の裂け目、がけの隠れ場におるわがはとよ、あなたの顔を見せなさい。あなたの声を聞かせなさい。あなたの声は愛らしく、あなたの顔は美しい。」雅歌2:14
イエス様と私たちの関係を語っていると理解してください。イエス様は命を捨てて、私たちを救い出してくださいました。その動機は「愛」です。私たちを愛するゆえに、顔を見せ、声を聞かせよと求めておられます。顔を見せないこと、愛する人に声を聞かせないことがあるでしょうか。主はあなたが祈り、心を向けることを待っておられます。(KE)
7月18日
「事の帰する所は、すべて言われた。すなわち、神を恐れ、その命令を守れ。これはすべての人の本分である。」 伝道12:13
「本分」とは、それがなければそのものの値打ち、価値がなくなるものです。人が人であるにはこの「本分」を尽くさなければなりません。神様を恐れ、神様の言葉をまもることが本分です。すべてを創造し、支配し、動かしておられる神様がおられること、その方の「命令」である聖書の言葉を心に抱いて、従う。それによって、人の生き方が整えられ、造られた目的にかなうものとなるのです。(KE)
7月17日
「主に感謝せよ、主は恵みふかく、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。」詩篇118:1
日々の生活の中で、どれほど感謝することがあるでしょうか。もちろん、親切を受けたり、思いがけない贈物をもらって、「ありがとう」と人に感謝することはあるでしょう。しかし、私たちがしなければおれない感謝は神様に対してです。生活の隅から隅まで、神様の恵みによらないものはありません。神様はすべての人々に雨を降らせ、日を照らし、作物を与え、食物、着る物、住む所、全てを与えてくださいます。大いに感謝しましょう。(KE)
7月16日
「イエスは答えられた、『本人が罪を犯したのでもなく、また、その両親が犯したのでもない。ただ神のみわざが、彼の上に現れるためである』。」ヨハネ9:3
人が思いがけない不幸に見舞われると、先祖の祟り、両親の罪、本人への懲罰など、原因を突き止めようとします。理由が分らないと、不安になるからです。しかし、神様は決して人を不幸へ陥れる方ではなく、神様の栄光を、恵みを与えようと願っておられます。しかも、神様によらないものは何ひとつ無いのですから。幸・不幸もすべて神様の手にあるのです。(KE)
7月15日
「もし最初の確信を、最後までしっかりと持ち続けるならば、わたしたちはキリストにあずかる者となるのである。」ヘブル3:14
何かの大事業に取り組む時、“初志貫徹”などと激励しますが、信仰生活も同じです。途中で投げ出してはなんの益にもなりません。それどころか、「最後までしっかり」と持ち続けなければ信仰の結果を得られません。サタン(悪魔)はなんとかして信仰を捨てさせようと執拗に働きかけてきます。うっかりしていると、信仰の破船に会うことになります。心引き締め、信じ続けましょう。(KE)
7月14日
「天地は滅びるであろう。しかしわたしの言葉は滅びることがない。」 マタイ24:35
“浮世”とも呼ばれるこの世は、まさに浮き草のように時流にながされ、人の気まぐれにまかせて浮遊している世界です。そのようなものにしがみついて生きていると、何のために生きているのか、目的すらもあやふやになり、生きる価値が失われます。しかし、神様の言葉、みことばこそは永遠不変です。この言葉には命があり、時代を貫いて変わらず、これに立って生きるとき、人生に確かな手ごたえを感じることができます。(KE)
7月13日
「人は心に自分の道を考え計る、しかし、その歩みを導く者は主である。」箴言16:9
人は常に前もって予定や計画を持っていなければ落ち着かない性分のようです。そのためか、次から次へと様々な思いが駆け巡っています。しかし、どのような道であっても人が自分の力でやり遂げることはできません。例外なく、全てのわざは神様が備えてくださるものであって、思いを与え、願いを起こさせ、実現させるのは神様です。今日も信仰に立って、主の導きに従ってください。(KE)
7月12日
「見よ、わたしが大いなる苦しみにあったのは、わが幸福のためであった。あなたはわが命を引きとめて、滅びの穴をまぬかれさせられた。これは、あなたがわが罪をことごとく、あなたの後に捨てられたからである。」イザヤ38:17
神様はヒゼキヤ王の祈りと願いに答えて、罪を許し、病を癒してくださいました。この経験を通して、彼は神様に触れ、ご愛を感じることができたのです。どのような苦しみや困難であっても、それによって神様を知ることができるなら、これ以上の幸いはありません。(KE)
7月11日
「おおよそ主にたより、主を頼みとする人はさいわいである。」エレミヤ17:7
「さいわい」と言えるものはいろいろありますが、あなたが「さいわい」と感じることは何でしょうか。物質的な豊かさ、念願成就、人との交わり、健康を含めて生活の快適さなど、それらも「さいわい」ですが、そのようなものはなにかの事にあたると脆く、崩れてしまいます。事情・境遇がどんなに変わっても、「さいわい」と言える道、それが神様を信頼することです。どんなことでもできる神様にたよるほど、確かなことはありません。(KE
7月10日
「あなたの天幕の場所を広くし、あなたのすまいの幕を張りひろげ、惜しむことなく、あなたの綱を長くし、あなたの杭を強固にせよ。」イザヤ54:2
人に何かを期待する時、相手の能力を推し量ります。場合によっては、この人ではなく、あの人にとなります。ところで、神様に対してはどうでしょうか。神様に対する期待度は私たちの信仰によります。どんなことでもできないことはありませんと、大きく、大きく期待しようではありませんか。神様に遠慮は禁物です。場所を広げ、綱をながくし、しっかり杭を打ってください。(KE)