8月9日
「神はモーセに言われた、『わたしは自分のあわれもうとする者をあわれみ、いつくしもうとする者を、いつくしむ』。」ローマ9:15
これはまた奇異な言葉だと思われます。神様は公平な方で、偏ったことをしないと考えられますが、なんだか身勝手な方のように聞こえます。実は、人の尺度によって神様に期待をするのが間違いです。神様は何者にも支配・拘束されません。神様のなさることが人の思いと違っていても、常に全て正しく、公平・公正です。神様に絶対的な義を認めることが、神様を畏れ、敬うことです。(KE)
8月9日
「神はモーセに言われた、『わたしは自分のあわれもうとする者をあわれみ、いつくしもうとする者を、いつくしむ』。」ローマ9:15
これはまた奇異な言葉だと思われます。神様は公平な方で、偏ったことをしないと考えられますが、なんだか身勝手な方のように聞こえます。実は、人の尺度によって神様に期待をするのが間違いです。神様は何者にも支配・拘束されません。神様のなさることが人の思いと違っていても、常に全て正しく、公平・公正です。神様に絶対的な義を認めることが、神様を畏れ、敬うことです。(KE)
8月8日
「わたしは命のパンである。」ヨハネ6:48
イエス様はご自分のことを「パン」にたとえておられます。しかも、普通のパンではなく、「命」のパン、命を与え、豊かにするパンだというのです。神の民が荒野を旅していたとき、日々に天からのパン、マナによって養われました。私たちもこの世という荒野を旅していますから、天からのパンを食べなければ餓死します。今は飽食の時代と言われるほど、食物に溢れていますが、大切な命を与えるパン、イエス様を食べなければ命が枯れます。それはみことばを食べることです。(KE)
8月7日
「主はわれらの神であり、われらはその牧の民、そのみ手の羊である。どうか、あなたがたは、きょう、そのみ声を聞くように。」詩篇95:7
神様と私たちは羊飼いと羊の関係で表されます。それは羊がそれ自身で生きるすべがなく、群れを成して牧者に守られ、水辺や牧草地に導かれて生きるからです。私たちも同様です。神様のみ手に守られ、導かれなければ、自分だけで生きることはできません。また、牧者の声に従わなければ命を失う危険があります。今日も、良き羊となって、牧者なる神様のみ声に従いましょう。(KE)
8月6日
「イエスは彼らの信仰を見て、『人よ、あなたの罪はゆるされた』と言われた。」ルカ5:20
ある人々が病人を床にのせたまま連れてきましたが、人が多くて入れず、とうとう屋根に上り、瓦をはいでイエス様の前につり降ろしたのです。型破りな行動を見て、イエス様はその病気を癒してくださいました。イエス様は彼らの行動に信仰を見たのです。信仰はこのように具体的なわざを伴います。信仰とは「信じる」ことですが、人は信じるとそれに従って行動を始めます。信仰は目に見えるものとなります。(KE)
8月5日
「だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。」マタイ6:31
神様は私たちが思い煩うことを喜ばれません。それどころか、嫌われます。なぜなら、神様は「天の父」であって、私たちはその子供たちだからです。親が付いていながら、子供が心配し思い煩って落ち込んでいれば、親は悲しむでしょう。信頼されない親ほど情けないものはありません。ですから、神様は繰り返し「思いわずらうな」と言われるのです。神様はお父さんですから、安心して委ねきってしまいましょう。(KE)
8月4日
「それゆえ、主は彼らを滅ぼそうと言われた。しかし主のお選びになったモーセは破れ口で主のみ前に立ち、み怒りを引きかえして、滅びを免れさせた。」詩篇106:23
荒野を旅する神の民はしばしば神様に逆らい、不平不満のつぶやきで神様の怒りを受けました。しかし、モーセはその度に主の前に立ち、民の許しを執り成したのです。モーセのとりなしがなければ、とっくに滅ぼされていたでしょう。イエス様も私たちの罪をあがなう者となって神様の怒りから救い出してくださいました。それゆえ、私たちもまた和解の使者となろうではありませんか。(KE)
8月3日
「エリシャは言った、『恐れることはない。われわれと共にいる者は彼らと共にいる者よりも多いのだから』。」列王下6:16
スリヤ王が軍勢を率いて、預言者エリシャの町を包囲しました。エリシャの召使が朝起きて見ると、大軍に囲まれていることを知ってうろたえました。彼には神様の軍勢が見えなかったのです。私たちはスリヤの大軍でなくてもいろいろな敵に攻撃されますが、決して失望することはいりません。神様は天の軍勢を送ってあなたを守っておられます。心の目をひらいて見てください。(KE)
8月2日
「王の心は、主の手のうちにあって、水の流れのようだ、主はみこころのままにこれを導かれる。」箴言21:1
人の心ほど分りにくいものはありません。自分の心ですら、つかめずにいます。まして、家族だ、夫婦だといっても、それぞれの思いや心は全く違います。誤解・曲解があるのは当然でしょう。ただ、神様は人の心を支配し、導き、自在に動かされます。相手の心が読めないとき、自分の心が不明な時、神様に祈って教えていただくと、はっきりします。(KE)
8月1日
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって、神があなたがたに求めておられることである。」第一テサロニケ5:16-18
喜び、祈り、感謝。これは福音の全てであると言っても過言ではありません。しかも、個別のこととしてではなく、この三つは相互に深く関わっています。ですから、一つでも欠かすなら、他のものも失われます。しかも、神様が求めておられることだと言われています。あなたは喜んでいますか、祈り、感謝していますか。(KE)
7月31日
「人の心には多くの計画がある、しかしただ主の、み旨だけが堅く立つ。」箴言19:21
人の心に思い計ることは次から次へ湧いてきます。しかし実現に至るものは実にわずかです。そればかりか、思いも寄らない、計画にもないことがどれほど沢山あることでしょうか。だからこそ、人の知恵や計画によるのでなく、神様のみわざであると言う以外にありません。神様のみ旨を堅く信じて、与えられた事態や事柄のなかで、神様のみ手に委ね、導かれたいものです。たとえそれが自分の意に反するものであっても。(KE)