12月3日
「よく聞きなさい。心をいれかえて幼な子のようにならなければ、天国にはいることはできないであろう。」マタイ18:3
イエス様は「幼な子」を引き合いに出して、救いについて語りました。幼な子の全てを無条件で是認しているのではありません。その本意は、「自分を低くする者」と語っているように、「幼な子」は弱い者であり、助けが必要ですから、両親を離れて生きることができません。そのように、私たちも「天の父」である神様を離れては生きることが出来ないのです。(KE)
12月3日
「よく聞きなさい。心をいれかえて幼な子のようにならなければ、天国にはいることはできないであろう。」マタイ18:3
イエス様は「幼な子」を引き合いに出して、救いについて語りました。幼な子の全てを無条件で是認しているのではありません。その本意は、「自分を低くする者」と語っているように、「幼な子」は弱い者であり、助けが必要ですから、両親を離れて生きることができません。そのように、私たちも「天の父」である神様を離れては生きることが出来ないのです。(KE)
12月2日
「人は神の物を盗むことをするだろうか。しかしあなたがたは、わたしの物を盗んでいる。あなたがたはまた『どうしてわれわれは、あなたの物を盗んでいるのか』と言う。十分の一と、ささげ物をもってである。」マラキ3:8
神様から盗人呼ばわりされて心外だと言われるかもしれません。しかし、考えたら、私たちの持っているもの全て、神様から頂いたり、借用でいるものばかりです。それらを「私のものだ」と言っている私たちは正真正銘の盗人です。全てが主のものであると認めて、その恵みに感謝しようではありませんか。(KE)
12月1日
「声が聞える、『呼ばわれ』。わたしは言った、『なんと呼ばわりましょうか』。『人はみな草だ。その麗しさは、すべて野の花のようだ』。」イザヤ40:6
人の世に生きていると、物質文明の絶頂期にあるため、人の力とわざが際立ってみえます。しかし、神様の目からご覧になると、まことに「人は草」のように弱く、小さな存在です。大地がチョット揺れると、一瞬にして瓦礫となって、命を失います。まことに脆い、はかないものです。それを忘れて、人が何者かであるように思うなら、必ず報いをうけるでしょう。(KE)
11月30日
「それで、あなたがたは神をだれとくらべ、どんな像と比較しようとするのか。」イザヤ40:18
神様と人はまったく相容れないもの、立っている次元が違います。その差異を乗り越えて、神様の方から人に近づいてくださったのです。ところが、人は神様を自分と同じレベルにおき、様々な像に形づくり、小さな存在にしました。神様の前に、人はとても小さなものであって、知恵も力もない存在であること、神様の大能のみ手に握られていることを自覚しようではありませんか。(KE)
11月29日
「わたしは知っている。すべて神がなさる事は永遠に変ることがなく、これに加えることも、これから取ることもできない。」伝道3:14ab
神様の御性質の一つは「真実」です。これは首尾一貫して変らないことです。時代に影響され、流行に流され、所によって変るのが人の世の姿です。しかし、神様は過去・現在・未来にわって真実にみわざを遂行されます。また、誰彼に左右されることなく、ご自分の心を貫かれます。だからこそ、信頼して裏切られません。(KE)
11月28日
「愚かな人の道は、自分の目に正しく見える、しかし知恵ある者は勧めをいれる。」箴言12:15
「愚かな人」とは、学校の成績や偏差値が悪いというのではありません。神様を恐れず、敬わない人のことです。そのような人は自分の考えや意見が絶対正しいと主張します。他人の意見や勧めを受け入れようとしません。しかし、「知恵ある者」は自分が被造物であり、限りある者であると知っていますから、謙遜になります。また他者の言葉を素直に受け入れ、自分の道を改める柔軟さと心のゆとりがあります。(KE)
11月27日
「主が命じられたのでなければ、だれが命じて、その事の成ったことがあるか。」哀歌3:37
どんなことでも、神様のご計画、摂理によって現れ、堅く立ち、消えていきます。見えるところ、人の知恵や力、努力の結果のように思われますが、神様のゆるしがなければ髪の毛一本抜けません。人は神様を忘れて、自分がなんでも出来ると思っているので、「私の責任です」と偉そうなことを言います。自分の身ひとつ、持て余しているのが現実ですから、例外なく全てが神様の手にあることを認めて、へりくだりましょう。(KE)
11月26日
「イエスはその話している言葉を聞き流して、会堂司に言われた、『恐れることはない。ただ信じなさい』。」マルコ5:36
会堂司の娘が死にかけていたとき、イエス様に来て祈ってほしいと頼みました。しかし、すでに亡くなったと知らせてきました。そのとき、イエス様は「聞き流して」、信じなさいと勧めました。私たちにはあまりに多くの情報が耳に入り、信仰が持てなくなっています。聞き流すこと、これは信じるために大切なことです。イエス様ですら、そのようになさるのですから、神様の声にのみ耳を傾けましょう。(KE)
11月25日
「空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか。」マタイ6:26
神様への信頼度を問われる言葉ではないでしょうか。誰一人、自分の力で生まれでた者はいません。また、自分の力や努力、才覚で命を養っているわけでもありません。すべてのものを造り生かし導かれるのは、あなたの「天の父」です。お父さんの手に委ねましょう。あなたのすべてを。(KE)
11月24日
「このように多くのしるしを彼らの前でなさったが、彼らはイエスを信じなかった。」ヨハネ12:37
イエス様は世に在りし時、様々な奇跡と言われるわざをなさいました。ともすると、そのような「しるし」、不思議なわざを体験すれば信仰が深まり、揺るがなくなると思いがちです。しかし、イエス様を信じる信仰はしるしや奇跡を見て得られるものではなく、聖霊が働いてくださるとき与えられるものです。信仰は神様からの贈物、恵みです。謙遜になって、信仰を与えてくださいと求めてください。(KE)