1月7日
「主は言われる、背信の子らよ、帰れ。わたしはあなたがたの夫だからである。」エレミヤ3:14a
人と神様との関係は愛に基づく婚姻関係のようなものです。ところが、人は愛してくださる花婿、主から離れて、他のものを慕い、罪を犯したのです。それでもなお神様は背いた妻である私たちを愛するがゆえに「帰れ」と切なる思いを抱いて待っておられます。この方から離れて私たちの幸せはないからです。それほどに深い愛を注いでくださっています。主の心と思いを知って主のもとに帰りましょう。(KE)
1月7日
「主は言われる、背信の子らよ、帰れ。わたしはあなたがたの夫だからである。」エレミヤ3:14a
人と神様との関係は愛に基づく婚姻関係のようなものです。ところが、人は愛してくださる花婿、主から離れて、他のものを慕い、罪を犯したのです。それでもなお神様は背いた妻である私たちを愛するがゆえに「帰れ」と切なる思いを抱いて待っておられます。この方から離れて私たちの幸せはないからです。それほどに深い愛を注いでくださっています。主の心と思いを知って主のもとに帰りましょう。(KE)
1月6日
「主の息がその上に吹けば、草は枯れ、花はしぼむ。たしかに人は草だ。草は枯れ、花はしぼむ。しかし、われわれの神の言葉はとこしえに変ることはない。」イザヤ40:7-8
人は、朝に萌出て夕べに枯れる草木のように、はかなく脆い存在です。最近の世界情勢を見ても、ちょっと歯車が違うと積み木崩しのように壊れてしまいます。しかし、神様のことばは不変にして不動のものです。弱い私たちが神様のことばに結びつく時、堅牢なカプセルに守られるごとく、永遠のいのちに生きることが出来ます。(KE)
1月5日
「それゆえ、主は待っていて、あなたがたに恵みを施される。」イザヤ30:18a
神様は苦しみや悲しみを人に与えて喜ばれるような方ではありません。なんとかして楽しませ、喜ばせ、輝かせようと願っています。そうなれないのは、悩みの時、神様のもとに帰ろうとせず、人を頼み、自分の知恵と力でなんとかしようと焦り、うろたえるからです。はやく神様に帰り、信頼することを願っておられます。主はあなたを恵もうと待っておられます。無駄な骨折りをやめ、謙って主に立ち返り、とことん信頼しましょう。(KE)
1月4日
「朝のうちに種をまけ、夕まで手を休めてはならない。実るのは、これであるか、あれであるか、あるいは二つともに良いのであるか、あなたは知らないからである。」伝道11:6
人は功利的に事の成り行きを考え、その結果を想定した上で、するかしないかを決めます。しかし、実際には人が考え予想した通りには進みません。神様の許しがなければどんなこともありえないからです。結果は神様に委ねて今なすべきことに全力を尽くしましょう。神様はあなたのわざに必ず報いてくださいます。(KE)
1月3日
「ペテロが言った、『金銀はわたしには無い。しかし、わたしにあるものをあげよう。ナザレ人イエス・キリストの名によって歩きなさい』。」使徒3:6
施しを乞うていた足のきかない男に語ったペテロの言葉です。この男は「金銀」を期待しましたが、それではいつまでも今の状態から抜け出すことはできません。イエス様の救いはあなたの人生の根底をひっくり返して、自分の足で立ち歩く者へと変えることです。「金銀」があれば歩けると思うのは間違いです。私たちが自立するのはイエス様によって立つときです。(KE)
1月2日
「しかし、無くてならぬものは多くはない。いや、一つだけである。」ルカ10:42ab
お正月は人の出入りの多いときです。来客の応接に忙しくなり、そのために焦ったり、苛立ったり、落ち着かなくなり、家族ともめたりして、慌しさがすぎると、疲労と後悔がずしんと重くなります。一体自分は何をやっているのだろうかと悔やむことばかりです。そんなとき、このみことばを自分に語りかけてください。今、「無くてならぬもの」はなんだろうかと。主のみこえを聞くこと、これが失われる時、全てが空しくなるのです。(KE)
1月1日
「あなたはその田みぞを豊かにうるおし、そのうねを整え、夕立をもってそれを柔らかにし、そのもえ出るのを祝福し、またその恵みをもって年の冠とされる。あなたの道にはあぶらがしたたる。」詩篇65:10-11
新しい年を迎えました。これからの一年がどのような年になるのかわかりませんが、神様は祝福と恵みを約束しておられます。世相を見るとき、望みはありません。しかし、みことばを信じて、神様に期待したいと思います。神様はすべてのものの根源であり完成者です。導かれるままに従っていきましょう。(KE)
「ただこの一事を努めている。すなわち、後のものを忘れ、前のものにむかってからだを伸ばしつつ…。」ピリピ3:13cd
2017年も今日で終ります。世間では除夜の鐘とともに、煩悩を吹き飛ばして新年に向かおうとしますが、私達は十字架に罪を消され、備えられた目標を目指し、神様の報いを得たいと願って新年に向かいます。そのためには過去に引きずられては前進できません。良いことも悪いことも、主にお返しして、目指すべきところをしっかりと見据えて、与えられた道を歩みましょう。(KE)
「主は彼女の心を開いて、パウロの語ることに耳を傾けさせた。」使徒16:14b
パウロは第二回目の伝道旅行中にピリピの町に立ち寄りました。安息日に川のほとりにある「祈り場」で、ルデヤという婦人に出会います。婦人はパウロの話を聞いて、イエス様を信じ、家族共々バプテスマを受けました。ピリピの教会の出発点です。これはパウロの努力や話術による結果ではありません。彼女の心を開いて信じさせたのは神様のわざです。これは今も変りません。あなたがみことばを聞いて喜ぶのも、神様がなさっているのです。(KE)
「肉の思いは死であるが、霊の思いは、いのちと平安とである。」ローマ8:6
聖書には「肉」という言葉がしばしば使われます。勿論、牛肉、豚肉などの「肉」ではありません。人間の自我性、神様を抜きにした世界、即物的な考えや価値観などを総称する言葉です。その反意語が「霊」です。霊は目に見えない神様を信じさせ、畏れ敬う心を育て、神様の知識を得させ、「肉」に打ち勝つ力を与えてくれます。私たちの心には「肉」の思いと「霊」の思いが常に衝突して、主導権を握ろうとしています。勝敗はあなたの選択と決断にかかっています。(KE)