12月21日
「また、からだを殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、からだも魂も地獄で滅ぼす力のあるかたを恐れなさい。」マタイ10:28
人にとっての最大の敵は自分の心に巣くう“恐れ”、恐怖心です。人は常になにか得体の知れないものを恐れて、戦々恐々としています。そのために、大胆になれません。小さく縮こまって生きています。人を恐れ、事情・境遇を恐れますが、しかし、真に恐るべきものは、主の語られるように、永遠の滅びに定める権威ある方、神様です。(KE)
12月21日
「また、からだを殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、からだも魂も地獄で滅ぼす力のあるかたを恐れなさい。」マタイ10:28
人にとっての最大の敵は自分の心に巣くう“恐れ”、恐怖心です。人は常になにか得体の知れないものを恐れて、戦々恐々としています。そのために、大胆になれません。小さく縮こまって生きています。人を恐れ、事情・境遇を恐れますが、しかし、真に恐るべきものは、主の語られるように、永遠の滅びに定める権威ある方、神様です。(KE)
12月20日
「なぜ、兄弟の目にあるちりを見ながら、自分の目にある梁を認めないのか。」ルカ6:41
幸か不幸か、人の目は自分を見るためにではなく、主に周囲や外を見るように出来ています。そのため、自分のことを棚上げして、あれこれ人のことをあげつらうことになります。まずは自らを省みること、他の人のことはさておき、自分がどのような状態にあるかを知ることが肝心です。ある哲学者も“汝自身を知れ”と語っています。神様が常に問われるのはあなた自身がどうであるかです。(KE)
12月19日
「目を高くあげて、だれが、これらのものを創造したかを見よ。」イザヤ40:26a
常日頃、見聞きすることは人、人、人のわざばかりです。どこを見ても人の手がつかないところはありません。そのため、全てのことが人の力や知恵で進んでいると錯覚しています。目の前の問題にしても、自分が考え付かなければ諦めるほかないと思っています。しかし、見るところを変えてみて下さい。「目を高くあげて」上をみるのです。神様に思いを向ける。見えるものの背後に見えないもの、神様をみるとき、望みが湧いてきます。(KE)
12月18日
「るつぼによって銀をためし、炉によって金をためす、人はその称賛によってためされる。」箴言27:21
金銀はるつぼや炉によってますますその価値をたかめます。しかし、人は炉のような過酷な試練でためされるよりも、むしろ順境におかれたときです。さきごろ、ある自動車会社が製品の不具合により非難を受けていますが、世界の頂点に立つ企業と成ったときが真価を問われるのです。人も同様です。栄誉や称賛をあびるとき、その後の行動が大切です。高慢にならず、心を低くして、自らの価値を確かにしましょう。(KE)
12月17日
「あなたのみ言葉はわが足のともしび、わが道の光です。」詩篇119:105
この世にあって生きるのはさまざまな艱難や苦しみを通ります。しかも、それらは予期しない、思いがけないことばかりです。まるで闇夜を手探りしながら進むような状態です。そのため、人は何か確かな手がかりを得たいと求めますが、かえってそのためにますます酷い事態にはまってしまいます。しかし、神様の言葉、聖書のみことばは闇を照らしてくれる光です。また、進むべき道を教えてくれます。今日も、みことばの光を掲げて、前進しましょう。(KE)
「主は、わたしたちの罪過のために死に渡され、わたしたちが義とされるために、よみがえらされたのである。」ローマ4:25
神様の独り子であるイエス様が神の位を離れて、人の世にくだり、私たちの罪をあがなう犠牲となって十字架に死んでくださいました。これによって、信じる私たちをきよめてくださった。それだけでなく、イエス様を死からよみがえらせて、信じる私たちを常に神様と共に生きるようにしてくださいました。これが「義とされる」ことです。(KE)
12月15日
「あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている。」ヨハネ16:33bcd
イエス様を信じて救われても、実際の生活にはこれと言って大きな変化はありません。住むところも、着るものも、食べるものも同じです。さらに悩みすらもあります。しかし、世のものと違うものがあります。イエス様が主となっていつも共にいてくださることです。主は人の世の悩み、苦しみ、悲しみ、病を知り、私たちの心を思いやり、慰め労わり、力を与え、知恵を満たして全てに勝利させてくださいます。(KE)
12月14日
「わたしにむかって『主よ、主よ』と言う者が、みな天国にはいるのではなく、ただ、天にいますわが父の御旨を行う者だけが、はいるのである。」マタイ7:21
「天国にはいる」とは、神様に罪許され、義なる人となることです。そうなるにはキリストの言葉を聞き、従い、行うことです。ともすると、沢山の言葉を聞いて知っていても、行おうとしません。行わなければいつまでも“絵に描いた餅”であって、腹の足しにもなりません。出来る出来ないは別にして、とにかくみことばを行おうではありませんか。(KE)
12月13日
「しかし、無くてならぬものは多くはない。いや、一つだけである。」ルカ10:42ab
毎日忙しく過ごすことが現代人の特徴であるように思われます。次から次へと、しなければならないことが湧いてきます。勿論、その中にはテレビを見たり、ジムへ出かけたり、趣味の仲間との付き合いもあります。どれをとっても明らかに「無駄だ」といえるものはありません。しかし、全部が全部、是非とも今日でなければとも言えません。このみことばにあるように、物事の優先順位を明確にし、取捨選択をしっかりしましょう。(KE)
12月12日
「サムエルは言った、『主はそのみ言葉に聞き従う事を喜ばれるように、燔祭や犠牲を喜ばれるであろうか』。」サムエル上15:22a
サウル王様の失敗は幾つかありますが、決定的なことは、神様の言葉に従わなかったことです。神様のために大きな犠牲を払おうとも、祭りをもって神様を称えようとも、神様はみ言葉に従うことを喜ばれます。それは今も変らない真理です。常に、心を主に向けて、み言葉を通して語ってくださる御心を汲み取って、それに全く従うものとなりましょう。神様はそれを喜んでくださいます。(KE)