2月4日
「人にへつらおうとして目先だけの勤めをするのでなく、キリストの僕として心から神の御旨を行い、…」エペソ6:6
「救われる」とは「キリストの僕」になることです。どうしてそのようなことが「救い」だろうかと思われますが、神様に仕えることこそ人の存在理由だからです。「キリストの僕」となりきるとき、あなたは真の人として生きることが出来ます。しもべは主人の意図を忠実に実行します。これが人であることの価値です。今日も、人にではなく、主に仕える一日を送ってください。人として生きるために。(KE)
2月4日
「人にへつらおうとして目先だけの勤めをするのでなく、キリストの僕として心から神の御旨を行い、…」エペソ6:6
「救われる」とは「キリストの僕」になることです。どうしてそのようなことが「救い」だろうかと思われますが、神様に仕えることこそ人の存在理由だからです。「キリストの僕」となりきるとき、あなたは真の人として生きることが出来ます。しもべは主人の意図を忠実に実行します。これが人であることの価値です。今日も、人にではなく、主に仕える一日を送ってください。人として生きるために。(KE)
2月3日
「だから、わたしたちは落胆しない。たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていく。」第二コリント4:16
肉体とそれを取り巻く環境だけで人は生きているのではなく、それは内にやどる命の入れ物に過ぎません。命とは魂に注がれる神様の霊、力です。「外なる人」は年齢や時代と共に古び衰えます。しかし、「内なる人」は神様から与えられる命を日々注がれリフレッシュされます。あなたの「内なる人」は命に溢れていますか。みことばと祈りによって霊の力が与えらますように。(KE)
2月2日
「光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった。」ヨハネ1:5
憂いや悲しみ、悩みや絶望があると、人の心はやみに閉ざされてしまいます。そのため、生きる力を失い、喜びが消え、氷の世界になります。そのやみをとり除くには、なによりも光を取り入れなければ消し去ることができません。まことの光はイエス様だけです。主はみことばをとおして光を注いでくださいます。あなたの心に闇があるなら、心の戸を少しばかり開いて、みことばを信じてみませんか。瞬時にやみは消えます。(KE)
2月1日
「わたしたちの日ごとの食物を、日々お与えください。」ルカ11:3
「主の祈り」の一節ですが、私たちが誰によって養われているかを語っています。人は自分の働きによって日々の糧を得ているように思っています。しかし、人は神様によって生かされ、持ち運ばれているのです。近頃、貧富の差が大きくなり、生活にも事欠くニュースを耳にします。そのような中で、余るほどではなくても、日々、食べることができるのはただ神様の憐みと言うほかありません。感謝です。(KE)
1月31日
「それは、キリストが父の栄光によって、死人の中からよみがえらされたように、わたしたちもまた、新しいいのちに生きるためである。」ローマ6:4b
イエス様が十字架に死んだのち、墓からよみがえられたのは罪と愆(とが)とに死んでいたものを十字架によって完全に滅ぼして、イエス様と同じようによみがえらせ、生きるようにするためです。よみがえったイエス様が新しいいのちとなって私たちのうちに宿っています。もはや一瞬たりともイエス様抜きに生きることはできません。(KE)
1月30日
「あなたがたは鼻から息の出入りする人に、たよることをやめよ、このような者はなんの価値があろうか。」イザヤ2:22
人は愚かなもので、自分のできない事でも他人にはできると過大評価しやすいのです。相手ができないと無能呼ばわりしますが、それは滑稽なことです。まず自分が出来ないことは自分と同類の他人もできないと知るべきです。頼るべき相手は人よりはるかに優れたもの、神様以外にありません。人に対して「裏切られた」「失望した」と言うとき、信頼すべき相手を間違えたあなたが悪いのです。(KE)
1月29日
「施し散らして、なお富を増す人があり、与えるべきものを惜しんで、かえって貧しくなる者がある。」箴言11:24
世の中には功利主義なるものがはびこり、与えれば減り、惜しめば増えるものと思っています。しかし、決してそうではありません。空にすれば満ちてきますし、満杯であればそれ以上は入りません。すべてのものの供給者は神様であって、人の計算で測れる方ではなく、計算外の手をつかい溢れるばかりに満たしてくださいます。神様の報いを期待して、手の内を空っぽにする人を求めておられます。(KE)
1月28日
「わが神、主よ、あなたのくすしきみわざと、われらを思うみおもいとは多くて、くらべうるものはない。」 詩篇40:5a
神様の呼び名は別名“不思議”と言われています。それは人の思いもよらない事態や事をなさるからです。人の僅かな知恵や知識で理解し、納得できる程度の事しかできない方であれば、信じる値打ちがありません。不思議をおこなわれるゆえに神様です。また、私たちに対する愛に満ちたみ思いは親兄弟以上です。この方以外に信頼に足るべき方がほかにいるでしょうか。(KE)
1月27日
「すべてのことは許されている。しかし、すべてのことが益になるわけではない。すべてのことは許されている。しかし、すべてのことが人の徳を高めるのではない。」第一コリント10:23
イエス様の十字架によって、肉なるものの力、サタンの支配から解放され、自由を得たのです。しかし、それゆえにこそ神様に応答する責任があります。求められる基準が変ります。自由を与えられたのは、自らの意思によって「益」となる道、「徳」を高める道を選択するためです。(KE)
1月26日
「彼は知恵と御霊とで語っていたので、それに対抗できなかった。」使徒6:10
ステパノは迫害をうけ殉教しましたが、その原因は海外から帰国したユダヤ人たちと論争して、彼らを論破したことです。彼の力は神様から与えられた霊の知恵を頂いていました。自分の持てるものを見ると、失望するしかありませんが、神様は知恵を与え、知識を増し加えることのできる方です。神様は知恵の無い者を選び、ご自身のわざを現されます。御霊に満たされて、神様の力を味わい体験してください。(KE)