9月21日
「その主人は主が彼とともにおられることと、主が彼の手のすることをすべて栄えさせられるのを見た。」創世記39:3
ヨセフは兄弟から妬まれ、売られてエジプトへくだり、侍衛長ポテパルに買われました。彼は神様を畏れ、置かれたところで忠実に勤めを果たした結果、神様からの祝福を受けたのです。それは彼が主に仕えることに徹底したからです。人のため、世のためであれば、その結果、人の歓心をかい、気に入られようとして行動が不安定になります。揺るがない、真っ直ぐな生きかたを選びましょう。(KE)
9月21日
「その主人は主が彼とともにおられることと、主が彼の手のすることをすべて栄えさせられるのを見た。」創世記39:3
ヨセフは兄弟から妬まれ、売られてエジプトへくだり、侍衛長ポテパルに買われました。彼は神様を畏れ、置かれたところで忠実に勤めを果たした結果、神様からの祝福を受けたのです。それは彼が主に仕えることに徹底したからです。人のため、世のためであれば、その結果、人の歓心をかい、気に入られようとして行動が不安定になります。揺るがない、真っ直ぐな生きかたを選びましょう。(KE)
9月20日
「イエスは彼らに言われた、『よくよく言っておく。人の子の肉を食べず、また、その血を飲まなければ、あなたがたの内に命はない』。」ヨハネ6:53
イエス様の「肉を食べ、血を飲む」とはただ事ではありません。そんな馬鹿げたことと思われますが、実際に肉を食べ、血を飲むわけではなく、比喩です。食べたり飲んだりしたものは、その人の中に取り込まれて、栄養となり、エネルギーとなります。そのようにイエス様が内に宿って、あなたの言葉や行動の原動力になっていただくことです。(KE)
9月19日
「そこで彼らは舟を陸に引き上げ、いっさいを捨ててイエスに従った。」ルカ5:11
ゲネサレ湖畔でイエス様は「人間をとる漁師」になるようにとペテロやヨハネ、ヤコブに声をかけました。そのとき、彼らは即座にその招きに応じてイエス様に従いました。彼らにとって舟は生活の基盤でしたが、それを陸に揚げ、その代わりにイエス様を人生の土台に据えたのです。何を生きる土台にするかによってあなたの人生が変ります。この時から、イエス様に従って未知の旅路に踏み出しました。(KE)
9月18日
「さあ、わたしたちは主に帰ろう。主はわたしたちをかき裂かれたが、またいやし、わたしたちを打たれたが、また包んでくださるからだ。」ホセア6:1
世間では“苦しいときの神頼み”と言いますが、ご都合主義を揶揄している言葉でしょう。しかし、真の神様はむしろそれすらも喜んでくださるのです。順境のときは勿論ですが、逆境のときに神様に頼るなら、それも幸いなことです。神様は私たちがどうであれ、主に帰るなら、無条件で迎えてくださいます。そればかりか、苦しみからも救ってくださいます。(KE)
9月17日
「枝がぶどうの木につながっていなければ、自分だけでは実を結ぶことができないように、あなたがたもわたしにつながっていなければ実を結ぶことができない。」ヨハネ15:4c
今は収穫の秋を迎えました。いろんな果実が実を結びますが一年に一度のことです。そのために木々は風雨、風雪に負けず、日照の中も耐え忍んで結実の時を待ちます。枝が木から離れたら、枯れて死んでしまい実を結ぶことはありません。私たちもイエス様にしっかりつながって、どんな中でも耐え忍び、農夫なる神様に喜ばれる実を結びましょう。(KE)
9月16日
「あなたがたの中に、罪の惑わしに陥って、心をかたくなにする者がないように、「きょう」といううちに、日々、互に励まし合いなさい。」ヘブル3:13
人の心ほど掴み所のないものはありません。また扱いにくいものです。心がねじれたり、かたくなったりすると、元へ戻すのに一苦労です。「罪の惑わし」だと言われています。心が罪に惑わされないように守らねばなりませんが、自分の力ではどうにもなりません。惑わされやすいものであることを自覚して、神様の力に寄りすがり、素直な柔らかい心を持ち続けましょう。(KE)
9月15日
「悪人の道がさかえ、不信実な者がみな繁栄するのはなにゆえですか。」エレミヤ12:1c
義人が苦しみにあい、悪人が栄える世の不条理を嘆くのは昔からのようです。確かに、この世は不公正や不公平がはびこって、その報いを受けないかのように見えます。しかし、それはこの世に限ってのことであって、人の魂は過去現在未来にわたって存在し続けるものですから、神様の義が貫かれるときが必ず来ます。悪人や不真実な者がさかえようと、それに惑わされず、しっかり見えないものに目をとめて生きてください。(KE)
9月14日
「罪びとで百度悪をなして、なお長生きするものがあるけれども、神をかしこみ、み前に恐れをいだく者には幸福があることを、わたしは知っている。」伝道8:12
日本は長寿社会となって人口に占める高齢者の割合が年々高くなってきました。その背景に“長生きは善”という考えがあるようです。しかし、人の人生は長さによって評価されるのではなく、生き方によります。勿論、評価なさる方(神様)がおられることを知らねばなりません。常に神様が喜んでくださる生きかたを求めつつ日々を過ごしましょう。(KE)
9月13日
「わざわいなるかな、おのが計りごとを主に深く隠す者。彼らは暗い中でわざを行い、『だれがわれわれを見るか、だれがわれわれのことを知るか』と言う。」イザヤ29:15
人の目だけを気にする生き方は不幸です。神様を認めず畏れないから、人の目だけが全てとなります。人の目はいくらでも誤魔化せますが、神様の目を欺くことはできません。すべてを見ておられます。また、神様は善悪ともに裁かれる方でもあります。ですから、神様の目を気にすることのほうが賢明です。主の眼差しを感じていますか。(KE)
9月12日
「ヨタムはその神、主の前にその行いを堅くしたので力ある者となった。」歴代下27:6
ヨタムはユダの王でした。彼の治世は16年でしたが、その間、神様の前に自らの行いを正しくし、揺るぐことなく貫いたのです。外部に現れる行為はその人の内にあるものから生まれます。ヨタムは神様への真実な思いを持ち続けたのでしょう。その結果、力をいただいたのです。人は力を得て強くなり人生に勝利しようとしますが、問題はその力をどこから得るかです。学力、財力、体力などと違って、神様からの力こそ真の力です。(KE)