そこそこの感謝ではなく溢れるばかりに感謝するとき、それが神様の栄光となるのです。

5月28日

「すべてのことは、あなたがたの益であって、恵みがますます多くの人に増し加わるにつれ、感謝が満ちあふれて、神の栄光となるのである。」第二コリント4:15

「神様の栄光」を現すなどと言うと、大変なことだと思ってしまいます。何をすればいいのかと戸惑いますが、実はとても簡単なことです。みことばにあるように神様の恵みを感謝することです。しかも、そこそこの感謝ではなく溢れるばかりに感謝するとき、それが神様の栄光となるのです。あなたが神様を褒め称え、感謝讃美することを願っておられます。(KE)

今日、あなたはどちらを選びますか。

5月27日

「見よ、わたしは、きょう、あなたがたの前に祝福と、のろいとを置く。」申命記11:26

私たちの人生はまさに選択と決断の連続です。右にするか左にするか、毎日判断を迫られます。しばしばその選択と決断は損得利害、情欲に絡んだことが多くありますが、利益不利益を基準に考えるばかりでは神様に「よし」とされる正しい行動はとれません。あなたの選択と決断は神様が置かれた「祝福とのろい」の選択に直結しています。さて、今日、あなたはどちらを選びますか。(KE)

 

「神様によろこばれる」ことであるかどうか。

5月26日

「わが岩、わがあがないぬしなる主よ、どうか、わたしの口の言葉と、心の思いがあなたの前に喜ばれますように。」詩篇19:14

人それぞれに生き方があり、何を大切にするかも違います。しかし、人として生きるために欠くことができない基本は一つです。それは神様を畏れ敬うこと。具体的に言うなら「神様によろこばれる」ことであるかどうか。あなたの生活の全てに言葉とわざとを問わず、この基準を当てはめてください。また、そうなるように求めて祈りましょう。(KE)

自分が幸福だと感じていればそれが全てです。

5月25日

「たとい人は百人の子をもうけ、また命長く、そのよわいの日が多くても、その心が幸福に満足せず、また葬られることがなければ、わたしは言う、流産の子はその人にまさると。」伝道6:3

人生の値打ちは持ち物や業績など、客観的な尺度で測ることはできません。ましてや他人と比べることもできません。それはきわめて主観的なもの。たとえ短命であれ、長命であれ、自分が幸福だと感じていればそれが全てです。神様に生かされた生涯をあなた自身がどのように受けとめるか、評価するかにかかっています。(KE)

人は過去に生きるのではなく、今を生きるものだからです。

5月24日

「『昔が今よりもよかったのはなぜか』と言うな。あなたがこれを問うのは知恵から出るのではない。」伝道7:10

今を楽しめない、喜べない人生は、たとえ過去がどんなに良くても惨めなものです。人は過去に生きるのではなく、今を生きるものだからです。今が人生最良の日だと言えるなら、どんなに幸いなことでしょう。そのためには全てのものを創造し、力あるみ手で導かれる神様を知り、また、神様が限りない愛を注いで、今日の私を生かしてくださることを信じて、主に感謝することです。(KE)

今、あなたはどちらの側に立っていますか。

5月23日

「イエスは振り向いて、ペテロに言われた、『サタンよ、引きさがれ。わたしの邪魔をする者だ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている』。」マタイ16:23

この言葉の直前にペテロはイエス様からその信仰を賞賛されましたが、ここでは「サタン」と言われています。「悪魔」とも言いますが、サタンは天使のようにやってきます。しかし、天使は私たちの心と思いを神様へ導きますが、サタンは逆に引き離そうとします。両者は私たちのうちにも潜んでいます。今、あなたはどちらの側に立っていますか。(KE)

試練を通して磨くほど輝き、値打ちが出てきます。だから喜ばしいのです。

5月21日

「わたしの兄弟たちよ。あなたがたが、いろいろな試錬に会った場合、それをむしろ非常に喜ばしいことと思いなさい。」ヤコブ1:2

これはまた奇妙なことばです。「試練」に会うことを喜ばしいと言うのですから。確かに、試練は嫌な事、不幸なことと思います。しかし、試練によらなければ得られないものがあります。神様は人に多くの可能性を与えてくれました。まるでダイヤの原石のように。手が加えられなければいつまでも変りませんが、試練を通して磨くほど輝き、値打ちが出てきます。だから喜ばしいのです。(KE)

何が起っても大丈夫という心の備えをする時が与えられているのです。

5月21日

「見よ、今は恵みの時、見よ、今は救の日である。」第二コリント6:2b

ニュースを見ると、多くの思いがけない事件や災害が頻発しています。世の終りが近づいていると言うほかありません。しかし、どのような事態に置かれていても、今は「恵みの時」「救いの日」であると言われます。なぜでしょうか。それは神様の救をうけ、祈りが聞かれる時だからです。自分の身に及ばなかったからよかったではなく、何が起っても大丈夫という心の備えをする時が与えられているのです。今こそ、真剣に生きるときではないでしょうか。(KE)

与えられているのです。不足を言わず、主に感謝したいものです。

5月20日

「イエスは彼らを見つめて言われた、『人にはできないが、神にはできる。神はなんでもできるからである』。」マルコ10:27

 

私達は弱く小さな者にすぎません。そのため、できない事が多く、いらだったり落胆したりしますが、それは間違いです。まず、「人には出来ない」ことを認めなければなりません。ゼロです。今、何か出来ることがあれば、それは神様がさせてくださるからであって、私ではありません。「なんでもできる」神様によって必要なものを備えられ、与えられているのです。不足を言わず、主に感謝したいものです。(KE)

今日も、神様を探し、見出してください。きっと思いがけない事に潜んでいますから。

5月19日

「わたしはわたしを求めなかった者に問われることを喜び、わたしを尋ねなかった者に見いだされることを喜んだ。わたしはわが名を呼ばなかった国民に言った、『わたしはここにいる、わたしはここにいる』と。」イザヤ65:1

 

神様は隠れたところにいて、私たちが自発の心で求め、探すことを願っています。日々の生活の場は様々なことに満ちています。「こんなところに?」と思われるなかに、神様は隠れておられます。今日も、神様を探し、見出してください。きっと思いがけない事に潜んでいますから。(KE)