4月17日
「御言には、あなたがたの徳をたて、聖別されたすべての人々と共に、御国をつがせる力がある」。使徒20:32b
聖書の言葉、御言葉は植物の種、球根のようなものです。土に埋めて、しばらくすると命が芽生えてきます。同様に、御言葉を心という大地に埋めておくと、命が働き始めます。やがて時が来て、神様の恵みが心を清め、思いを変えて、自分でないものが現れてきます。あなたの内なるものを新しくしてしまいます。(KE)
今日の通読箇所
4月14日
「わたしが世のものでないように、彼らも世のものではありません」。ヨハネ17:16
イエス様は十字架に掛かり、ご自分の命を代償として、私たちを主のものとしてくださいました。主イエスを信じる者はすべてキリストのものとなったのです。主はこの世に来て下さった方です。だからこの世のものではありません。同様に、私たちもこの世のものではなく、主のものとされたのです。この身分を自覚し、大切にしたいものです。(KE)
今日の通読箇所
4月13日
「主はこう仰せられる、『あなたは泣く声をとどめ、目から涙をながすことをやめよ。あなたのわざに報いがある』」。エレミヤ31:16
神様はイスラエルの民をバビロンへ捕囚となって連れて行かせました。それは彼らに悔い改めの時を与えようとの御心です。神様は70年後に、ユダの地へ連れ帰ると約束しておられます。神様のご計画をすべて知りつくすことはできませんが、神様の思いは私達への大きな愛によるものです。むやみに悲嘆にくれることは、主の御心を痛めることになります。(KE)
今日の通読箇所
4月12日
「自由を得させるために、キリストはわたしたちを解放して下さったのである。だから、堅く立って、二度と奴隷のくびきにつながれてはならない」。ガラテヤ5:1
キリストの救に出会わなかったとき、私たちは様々な恐れの中に閉ざされていました。まるで奴隷が恐怖によって支配されているように。しかし、主は恐れの極みである死を超えて、生きる道を備えてくださいました。もう泣かなくてもいい、恐れなくてもいい、どんなものにも支配されない自由を与えて下さったのです。(KE)
今日の通読箇所
4月11日
「ほめられても、そしられても、悪評を受けても、好評を博しても、神の僕として自分をあらわしている」。第二コリント6:8a
人生、山あり、谷あり、波乱万丈です。その中で自分を神様の僕に徹底していくなら、主人である神様はどんな力でも用いて僕を助けてくださいます。ヨセフは兄弟の妬みから、エジプトに奴隷として売られます。彼はどのような境遇に置かれようと、神様の僕となって与えられた使命を果たします。(KE)
今日の通読箇所
4月10日
「恐れてはならない、わたしはあなたと共にいる。驚いてはならない、わたしはあなたの神である。わたしはあなたを強くし、あなたを助け、わが勝利の右の手をもって、あなたをささえる」。イザヤ41:10
「神われらと共にいます。これ最も良きことなり」と語った伝道者がいましたが、いまだにこの言葉はかわりません。共に居られる方は、できない事のない全能者です。その方が、私たちを助け、力を与え、どんな中にあっても支えてくださるのです。あなたが小さく弱くても、大丈夫です。(KE)
今日の通読箇所
4月9日
「しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、われわれの不義のために砕かれたのだ」。イザヤ53:5a
本来、わたしたちが受けるべき呪いと刑罰でありますが、私たちに代わって主が、しかも罪なき神の子でありながら、十字架を受けてくださったのです。父なる神様はどれほど深い悲しみであったか、到底知りつくすことは出来ません。何をもって主のご犠牲に報いることができるでしょうか。(KE)
今日の通読箇所
4月8日
「あなたがたは主にお会いすることができるうちに、主を尋ねよ。近くおられるうちに呼び求めよ」。イザヤ55:6
同じ家に住んでいようと、相手のことを意識していなければ、その人の存在は無きに等しいと言えます。同様に、神様は永遠不変ですが、私たちが神様を認めなければ、神様の存在はないものになってしまいます。今、この瞬間こそ、恵みの時です。主にお会いすることができる今こそ、しっかり自覚して主を求めましょう。(KE)
今日の通読箇所