真の幸せは心に咎められるもののない事です

1月28日
「そのとががゆるされ、その罪がおおい消される者はさいわいである」。詩篇32:1

 家内安全無事息災、家族が健康で、仕事も学業も順調、家庭円満など、これこそ幸せな人だと思われますが、真の幸せとは心に咎められるもののないことです。人には誰でも生きる過程で多少なりともすねに傷を持つものです。イエス様は私たちの罪とが一切を、事の大小多寡に関わらず、十字架によってすべてを完全に消し去ってくださいました。感謝。(KE)

今日の通読箇所

サムエル記 下 2章

コリント人への第二の手紙9章

豊かさに心を向けては、内側も倒れます

1月27日
「たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていく」。第二コリント4:16

 歳を取るとともに、身体的な力、生活力などが急速に衰えてくるのを感じます。そうなると、心までが力を失い、哀れなものになってしまいます。原因は普段の生活で、体の健康や、生活の豊かさばかりに心を向けているから、内なるものも共倒れです。そうならないために、常々、神様の霊に満たされ、神様の力にしっかり連なっておきましょう。(KE)

今日の通読箇所

サムエル記 下 1章

コリント人への第二の手紙8章

人の知識は自慢できるものではありません

1月26日
「もし人が、自分は何か知っていると思うなら、その人は、知らなければならないほどの事すら、まだ知っていない」。第一コリント8:2

 知識は人を高慢にするようです。ことに最近の情報化社会では誰よりも早く、また誰よりも多くのことを知っていることを自慢しますが、神様の目には無知蒙昧な者にしか見えないでしょう。神様を前にして、自分の思いを探ってみてください。何一つ自慢できるものはありません。すべての知恵も知識も主から出たものですから。(KE)

今日の通読箇所

サムエル記 上 31章

コリント人への第二の手紙7章

神を裏切る彼には聴く耳がありません

1月25日
「時は夜であった」。ヨハネ13:30b

 最後の晩餐の席で、イエス様ははっきりと裏切る者がいるといわれます。弟子たちの間に動揺が広がります。その中にユダもいました。主ははっきりとイスカリオテのユダに「あなただ」と名指しされますが、サタンに捕らわれた彼には聴く耳がありません。夜の闇に消えていきます。「悪を行っている者はみな光を憎む」と言われます。あなたの心に光がさしていますか。(KE)

今日の通読箇所

サムエル記 上 30章

コリント人への第二の手紙6章

慰めは、神様が常に共におられたことです

1月24日
「なぜなら、わたしはひとりではなく、わたしをつかわされたかたが、わたしと一緒だからである」。ヨハネ8:16b

 イエス様は父なる神の右に座しておられた神と等しい方です。そのような御子が人の世に使命を帯びて遣わされました。この世に在りし日々、戦いの連続でしたが、その中で主の慰めと力になったのは、父なる神様が常に、共におられたことです。そのように、主は私たちといつも、どこにでも一緒におられるのです。今日もあなたと共に。(KE)

今日の通読箇所

サムエル記 上 29章

コリント人への第二の手紙5章

人は人を裁けず、神のみが裁かれます

1月23日
「イエスは言われた、『わたしもあなたを罰しない。お帰りなさい。今後はもう罪を犯さないように』」。ヨハネ8:11

 罪を犯した現場で捕らえられた女がイエス様のところに連れられてきました。イエス様は罪なき者がこの女に石をうてと言われただけです。しばらくして、主は問います、「誰もいないのか」と。人が人を裁くことはできません。ただ神様のみが裁かれます。イエス様はこの女を許してくださいました。神様の許しを与えるのがイエス様の使命だからです。(KE)

今日の通読箇所

サムエル記 上 28章

コリント人への第二の手紙4章

神様と共に生きるためです

1月22日
「人を生かすものは霊であって、肉はなんの役にも立たない」。ヨハネ6:63a

 “生きる“とはどのような状態をあらわすのでしょうか。五体満足、健康にも恵まれて、普通に生活できることでしょうか。ただそれだけなら、何のための人生でしょうか。私たちが生きるのは、創造者なる神様と共に生きるためです。神様の霊が私たちを包み、力と知恵、愛と平安、喜びを与えてくださいます。(KE)

今日の通読箇所

サムエル記 上 27章

コリント人への第二の手紙3章

主の言葉に従うならば激変されます

1月21日
「イエスは彼に言われた、『起きて、あなたの床を取りあげ、そして歩きなさい』」。ヨハネ5:8

 38年間もの長い闘病生活をしていた彼は、ベテスダの池の水が動くのを待ち続けていました。イエス様がその人に「なおりたいのか」と声を掛けます。彼は病気が癒されない理由をあれこれ述べます。しかし、主はそれらの言葉を聞き流して、言われました。人は出来ない、変われない理由や屁理屈を並べて同じところにとどまります。今も主はあなたがどんな境遇にあろうと、激変させることができます。ただ、あなたが主の言葉に従うならば。(KE)

今日の通読箇所

サムエル記 上 26章

コリント人への第二の手紙2章

神の喜ばれる事は、ただ神の言葉に従う事

1月20日
「サムエルは言った、『主はそのみ言葉に聞き従う事を喜ばれるように、燔祭や犠牲を喜ばれるであろうか』」。サムエル上15:22a

 イスラエル王国の王となったサウロに、アマレク人を皆殺しにするよう命じます。戦いに勝利しますが、しかし、彼は民の言葉にしたがい、家畜などを分捕ってきます。そのときサムエルが語ったのがこの言葉です。神様の喜ばれることは素晴らし燔祭や犠牲を捧げることではなく、ただ神様の言葉に従う事です。やがてサウロ王は王位から外されます。(KE)

今日の通読箇所

サムエル記 上 25章

コリント人への第二の手紙1章

神の計画は人の想像より深く練られてます

1月19日
「わらべサムエルは主の前で育った」。サムエル上2:21b

 ハンナは与えられた男の子が乳離れしたとき、主に約束した通りにサムエルを神様に捧げます。それが祈りのうちに神様に誓ったことだったからです。彼は祭司エリの下で神殿に寝泊まりをすることになります。やがて彼はイスラエル王国の精神的指導者と言うべき重要な働きをすることになります。神様のご計画は深慮遠謀、人の想像を超えた筋書きです。(KE)

今日の通読箇所

サムエル記 上 24章

コリント人への第一の手紙16章