神様は思いを与え、歩みを導かれます

9月5日

「もしわたしたちが御霊によって生きるのなら、また御霊によって進もうではないか」。ガラテヤ5:25

 神様は御霊の働きをもって、私達に思いを与え、御心にかなう歩みへ導かれます。与えられた思いを主からのものと信じて従っても、驚くような場面に遭遇することは稀です。しかしそのような日常から御霊に聴く訓練をしていなければ、いざという時、確信をもって従うことができません。今あなたに、御霊は何と語られていますか? (MK)

今日の通読箇所

ダニエル書5章

ペテロの第一の手紙 2章

約束の地までの旅路は主の行かれるまま

9月4日

「主は彼らの前に行かれ、昼は雲の柱をもって彼らを導き、夜は火の柱をもって彼らを照し、昼も夜も彼らを進み行かせられた」。出エジプト13:21

 神様はイスラエルの民を、出エジプトから約束の地まで、雲の柱と火の柱をもって先導なさいました。彼らの旅路は主の行かれるまま。進むも留まるも、理由の説明はありません。御霊に導かれる私達の人生の旅路も、日々様々であり、そこに詳細説明はありません。しかし行き着く先は約束の御国です。 (MK)

今日の通読箇所

ダニエル書4章

ペテロの第一の手紙 1章

救いは一方的な恩寵によるものです

9月3日

「あなたがたの救われたのは、実に、恵みにより、信仰によるのである。それは、あなたがた自身から出たものではなく、神の賜物である」。エペソ2:8

 神様の救いは、私たちの状態によって変わるようなものではありません。なぜなら、救いは何かの報酬として与えられるのではなく、一方的な恩寵によるものです。受けるに足らぬ者であり、滅びる者であった者を無償で救ってくださったのです。私たちの為すべきことは、救われた者と確信して、ただ感謝するのみです。(KE)

今日の通読箇所

ダニエル書3章

ヤコブの手紙5章

イエス様は、信仰を導いて下さいます

9月2日

「信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか」。ヘブル12:2a

 信仰とは神様を信じることですが、これがまた単純にして、困難です。信じようとしても、信じられません。しかし、よみがえって共に居てくださるイエス様は、あなたの信仰を導き、完成させてくださいます。そのために、イエス様を絶えず心に覚えて、生活する以外にありません。(KE)

今日の通読箇所

ダニエル書2章

ヤコブの手紙4章

欠けた所のない事では、幸せになれません

9月1日

「そこで、高慢にならないように、わたしの肉体に一つのとげが与えられた。それは、高慢にならないように、わたしを打つサタンの使なのである」。第二コリント12:7

 五体満足、欠けた所のない者になりたいと人は願います。しかし、それが人を幸福にしてくれるでしょうか。かけた所があればこそ、謙遜になれます。弱いからこそ他者を思い遣れます。これがなければと思うものがあるなら、感謝しようではありませんか。高慢にならず、他者を思い遣ることができるからです。(KE)

今日の通読箇所

ダニエル書1章

ヤコブの手紙3章

愛は人が思うほど単純で軽いものではない

8月31日

「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して下さって、わたしたちの罪のためにあがないの供え物として、御子をおつかわしになった。ここに愛がある」。第一ヨハネ4:10

 「愛」という言葉ほど、多くの人が憧れる言葉はないでしょう。しかし、真の愛は人が思うほど単純で軽いものではありません。その具体例を神様は見せてくださいました。それが十字架の死です。ご自分に敵対する私たちのために命を捨ててくださったのです。このように隣り人を愛せよと言われます。あなたの愛はどんなものでしょうか。(KE)

今日の通読箇所

エゼキエル書48章

ヤコブの手紙2章

神は信頼する者を必ず恵んでくださいます

8月30日

「わたしは苦しまない前には迷いました。しかし今はみ言葉を守ります。あなたは善にして善を行われます。あなたの定めをわたしに教えてください。」。詩篇119:67-68

 人生に悩みや苦労は付き物です。しかしその道を通ってこそ、私達はイエス様に出会えました。問題の渦中にある時、それ自体を喜ぶのは困難ですが、神様は信頼する者に善き実を備え、必ず恵んでくださいます。なぜなら主は、善い業しかなさらない善いお方だからです。 (MK)

今日の通読箇所

エゼキエル書47章

ヤコブの手紙1章

神様は私に何が必要であるかをご存知です

8月29日

「そのみ手のわざは真実かつ公正であり、すべてのさとしは確かである」。詩篇111:7

 人の生涯を見ていくとき、不平等だと言いたくなるようなことに、度々遭遇します。しかし平等と公正は違うのだそうです。平等はどんな人に対しても、同じ物を同じように分配すること。対して公正は必要な人に必要な物を分配すること。神様は私達一人ひとりに、何が必要であるかをご存知です。その上で、きちんと帳尻を合わせてくださるお方です。(MK)

今日の通読箇所

エゼキエル書46章

へブル人への手紙13章

神様は、敵を目の前に宴を開かれるのです

8月28日

「あなたはわたしの敵の前で、わたしの前に宴を設け、わたしのこうべに油をそそがれる。わたしの杯はあふれます」。詩篇23:5

 人は不測の事態に陥ると、たちまち慌てふためきます。しかし神様は、敵が目の前に迫ってきているのに、そこで宴を開かれるというのですから豪快この上ありません。どんな中でも、いかようにも事を動かすことが出来る神様ならではです。この方が私達の牧者なのですから、まさに乏しいことはありません。(MK)

今日の通読箇所

エゼキエル書45章

へブル人への手紙12章

造り主のすべてを知ることはできません

8月27日

「あなたがたは、わたしをだれにたぐい、だれと等しくし、だれにくらべ、かつなぞらえようとするのか」。イザヤ46:5

 神様は広大無辺な方です。その姿形をすべて見きわめることができません。しかし、人は愚かしくも被造物なるものが造り主のすべてを知りつくそうと、様々な姿形を多様な材料で仕上げたのが偶像と言われるものです。どんな事をしても、神様のすべてを表すことはできません。ただ一つ、あなたが神様を信じるか、信じないか、です。(KE)

今日の通読箇所

エゼキエル書44章

へブル人への手紙11章