10月26日
「わが岩、わがあがないぬしなる主よ、どうか、わたしの口の言葉と、心の思いがあなたの前に喜ばれますように」。詩篇19:14
誰に喜ばれようとするのか、それによってその人が誰を大切にしているかが分かります。誰よりも、主(イエス・キリスト)に喜ばれたいと願うなら、何と幸いなことでしょうか。そのために、常々、すべての人の背後におられる主を意識しておくことが不可欠です。(KE)
今日の通読箇所
10月26日
「わが岩、わがあがないぬしなる主よ、どうか、わたしの口の言葉と、心の思いがあなたの前に喜ばれますように」。詩篇19:14
誰に喜ばれようとするのか、それによってその人が誰を大切にしているかが分かります。誰よりも、主(イエス・キリスト)に喜ばれたいと願うなら、何と幸いなことでしょうか。そのために、常々、すべての人の背後におられる主を意識しておくことが不可欠です。(KE)
今日の通読箇所
10月25日
「あなたがたはわたしに対して悪をたくらんだが、神はそれを良きに変らせて、今日のように多くの民の命を救おうと計らわれました」。創世記50:20
兄達は弟ヨセフに対する妬みから、彼を奴隷として売ってしまいました。それは明らかな悪でしたが、主はヨセフの信仰と、兄達の悔い改め、何より被造物に対する愛故に、エジプトと周辺諸国を飢饉から守り、罪の業を救いに造り変えられました。ヨセフ物語、大団円です。(MK)
今日の通読箇所
10月24日
「彼がヨセフに家とすべての持ち物をつかさどらせた時から、主はヨセフのゆえにそのエジプトびとの家を恵まれたので、主の恵みは彼の家と畑とにあるすべての持ち物に及んだ」。創世記39:5
兄達に妬まれ、奴隷としてエジプトに売られたヨセフ。この災難の中でも、誠実に生きようとするヨセフに、神様は恵みを注がれ、その影響はやがて彼の主人にまで及びます。神様に信頼するたった一人の信仰が、その周囲にまで祝福の波紋を広げたのです。 (MK)
今日の通読箇所
10月23日
「兄弟たちは彼をねたんだ。しかし父はこの言葉を心にとめた」。創世記37:11
ヨセフは父ヤコブの愛情を一身に受けて成長し、兄達の妬みを買います。更にヨセフが家族を軽視するような夢を語った事で、彼らの心の溝は一層深まっていきます。非常識で不敬とも思えるヨセフの態度ですが、父ヤコブだけは、この事に思いを巡らせました。自らの感情に飲まれず、御霊の働かれる余地を残す。“イスラエル”と呼ばれたヤコブの生き方が、ここにあります。 (MK)
今日の通読箇所
10月22日
「さて、散らされて行った人たちは、御言を宣べ伝えながら、めぐり歩いた」。使徒8:4
弟子たちに聖霊が注がれ、その後、イエス様を信じる人々が増え、エルサレムに教会ができました。ユダヤ教徒たちは、クリスチャンを厳しく迫害しました。エルサレム教会も迫害の結果、信徒は散ってしまった。ところが、散らされた人々は各地に出て行き、福音を語った結果、主の救いがさらに広く、多くの人々に届くことになったのです。神様は失敗と思われることを益と変えられるのです。結果は神様が出されます。(KE)
今日の通読箇所
10月21日
「シモンは答えて言った、『先生、わたしたちは夜通し働きましたが、何も取れませんでした。しかし、お言葉ですから、網をおろしてみましょう』」。ルカ5:5
漁師であったシモンはイエス様に出会って、不思議な体験をします。漁を終わって仕事納めをしている彼に、「沖へこぎ出し、漁をしてみよ」といわれます。経験豊かな漁師のシモンは、主の言われる通りにしたところ、思いがけない豊漁に圧倒されます。主のみ言葉に従って、キリストを体験する。これが日々味わう信仰の醍醐味です。(KE)
今日の通読箇所
10月20日
「神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。夕となり、また朝となった。第一日である」。創世記1:5
天地創造の記事ですが、この時から今に至るまで、一日として休むことなく、繰り返されています。今日も夜が明けて、一日が始まりました。また夜も必ず来ます。このリズムのなかで、天地万物が育まれ、それぞれの命の道をたどるのです。主の大能の御手に握られ、生きる一日であるようにと祈ります。(KE)
今日の通読箇所
10月19日
「女がその乳のみ子を忘れて、その腹の子を、あわれまないようなことがあろうか。たとい彼らが忘れるようなことがあっても、わたしは、あなたを忘れることはない」。イザヤ49:15
私たちは無責任ですから、都合の悪いことはすぐに忘れます。しかし、神様はそうではありません。あなたがどんな状態にあろうと、忘れることなく、憐れんで、あなたの祈りに応えてくださいます。確信をもって、主を求めてください。(KE)
今日の通読箇所
10月18日
「ましてわたしは十二万あまりの、右左をわきまえない人々と、あまたの家畜とのいるこの大きな町ニネベを、惜しまないでいられようか」。ヨナ4:11
ヨナは神様の憐み深いこと、慈しみ豊かであることをよく知っていました。しかし神様は、ヨナが考えるよりも遥かに大きな情熱をもって、ニネベの人々を愛し、惜しんでおられました。私達もニネベの人々同様、この神様の熱心な愛があったればこそ、救いにあずかることができたのです。(MK)
今日の通読箇所
10月17日
「なぜなら、わたしはあなたが恵み深い神、あわれみあり、怒ることおそく、いつくしみ豊かで、災を思いかえされることを、知っていたからです」。ヨナ4:2c
神様の命令に背き、ニネベではなくタルシシに向かった預言者ヨナ。しかしそれは、どんな人々をも救おうとする神様の愛情深さを、彼が圧倒的に信じるが故でした。逃げたことばかりが印象に残りやすいヨナですが、これ程までに曇りなく、主の愛を信じているか、と問われる箇所です。(MK)
今日の通読箇所