主は人の受けるどんな事も体験されました

7月16日

「わたしは神から出た者、また神からきている者であるからだ。わたしは自分からきたのではなく、神からつかわされたのである」。ヨハネ8:42b

 イエス様は大工ヨセフとマリアの子として、世に遣わされました。人の子であるイエス様は、また神様ご自身であると信じることが信仰の出発点です。主は人の受ける悩みも、失望も、不安も、恐れも、どんなことも体験された。だから、誰よりも私たちの思いのすべてを共感することができるのです。(KE)

今日の通読箇所

エゼキエル書2章

エペソ人への手紙5章

私達に求めている事は、御旨に従う事です

7月15日

「主のあなたに求められることは、ただ公義をおこない、いつくしみを愛し、へりくだってあなたの神と共に歩むことではないか」。ミカ6:8b

 神様が私たちに求めておられることは、わずかなことです。公義とは神様の義、正しさを行う事、また慈愛の心を育て、神様の前に身を低くして、御旨にしたがうことです。しかし、人にとってこれが実行するには難しいのです。それ故、イエス様は不言実行、御足の跡を残して、神様と共に歩ませてくださいます。(KE)

今日の通読箇所

エゼキエル書1章

エペソ人への手紙4章

主は切に求める時、ご自身を現わします

7月14日

「主は遠くから彼に現れた。わたしは限りなき愛をもってあなたを愛している。それゆえ、わたしは絶えずあなたに真実をつくしてきた」。エレミヤ31:3

 神様はご自分を知って欲しいと願っておられます。ですから、主はあなたが切に求めるとき、思いがけないところ、思いもしないことを通して、ご自身を現わしてくださいます。その主は私たちを無限の愛で愛していると語っています。しかも、口先だけでなく、嘘偽りでなく、どこまでも真実にあなたを愛していると。今日も主のご愛の御手に信頼して、主を知る者となってください。(KE)

今日の通読箇所

哀歌5章

エペソ人への手紙3章

変わろうとも、主は常に揺るぐことない

7月13日

「呼ばわる者の声がする、『荒野に主の道を備え、さばくに、われわれの神のために、大路をまっすぐにせよ』」。イザヤ40:3

 これは今の時代のことでありましょう。政治も教育も、家庭も社会も、混沌として、老いも若きも多くの無辜の民の命が失われる日々の生活、そこが荒野であり、砂漠です。この希望も慰めのない生活にあって、神様を土台として生きる事を努める。世の中がどのように変わろうとも、主は常に揺るぐことなく、あなたを支えてくださいます。(KE)

今日の通読箇所

哀歌4章

エペソ人への手紙2章

私達のものは全て、神様から頂いた物です

7月12日

「事の帰する所は、すべて言われた。すなわち、神を恐れ、その命令を守れ。これはすべての人の本分である」。伝道12:13

 ソロモン王が老年期に記したとされる、伝道の書の結びの言葉です。若き日に神様から知恵をいただいたソロモンですが、その力に飲まれて失敗することもありました。私達の持っているものは全て、神様からいただいたものです。そしてその所有権は、永遠に神様にあります。この事を忘れる時、人は本分から遠退いてしまいます。(MK)

今日の通読箇所

哀歌3章

エペソ人への手紙1章

主の御心を聞き分ける知恵を求めました

7月11日

「主を恐れることは知識のはじめである、愚かな者は知恵と教訓を軽んじる」。箴言1:7
 
 知恵の人として名高い、ソロモン王の言葉です。王になったばかりの頃、神様から欲しい物を聞かれたソロモンは、主の御心を聞き分ける知恵を求め、それを得ました。 初めの人アダムとエバは、知恵を自分のものにしようとして神様に背きましたが、ソロモンは知恵の本質が何かを知っていました。神様は彼の求めを、大変お喜びになりました。(MK)

今日の通読箇所

哀歌2章

ガラテヤ人への手紙 6章

人は善悪を知っても、善は行えません

7月10日

「それを食べると、あなたがたの目が開け、神のように善悪を知る者となることを、神は知っておられるのです」。創世記3:5

 アダムとエバは蛇の誘惑に負け、神様に禁じられていた、善悪を知る木の実を食べてしまいました。しかし人は善悪を知っても、善を行うことが出来ず、悪を離れることが出来ません。その力がないからです。過ぎた知識は、余計な心配を引き込み、平静を失わせます。人は決して『神のように』はなれないのです。(MK)

今日の通読箇所

哀歌1章

ガラテヤ人への手紙 5章

神を愛する私達に、不思議を行って下さる

7月9日

「しかし、聖書に書いてあるとおり、『目がまだ見ず、耳がまだ聞かず、人の心に思い浮かびもしなかったことを、神は、ご自分を愛する者たちのために備えられた』のである」。第一コリント2:9

 神を愛する者たちとは私たちのことです。そう言われると、恥ずかしい限りです。そのような私たちに、神様はまだ前例のない不思議を行って下さるとのことです。否、もうすでに思いもしない、願いもしない日々を送らせてくださっています。今日も何があるか分かりませんが、どんなことも主があなたのために備えられたことであると信じて、感謝しましょう。(KE) 

今日の通読箇所

エレミヤ書52章

ガラテヤ人への手紙 4章

それは人と人との間にしばしば起こります

7月8日

「愛する者たちよ、自分で復讐しないで、むしろ、神の怒りに任せなさい」。ローマ12:19

 私たちは誠に愚かな者だとつくづく思います。僅かな指導者の欲心の結果、多くの人々が犠牲を強いられ、命まで失うことになります。それは国と国とのことだけでなく、人と人との間にしばしば起こることです。復讐の連鎖を断ち切るには、裁き主なる神様のおられることを信じる以外にありません。(KE)

今日の通読箇所

エレミヤ書51章

ガラテヤ人への手紙 3章

主は、いつも共にいますと約束しています

7月7日

「見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである」。マタイ28:20b

 今日は七夕、織姫と彦星が出会う時などと言われますが、あなたとイエス様とはどうでしょうか。主は言われます、年に一度ではなく「いつも」共にいますと約束しています。約束は相手だけでは完成しません。今ここに主がいますとあなたが約束を信じるなら、主はいつもいてくださいます。織姫・彦星も、年に一度ではなく、いつも一緒に居たかったでしょう。主もまたそのように願っておられます。(KE)

今日の通読箇所

エレミヤ書50章

ガラテヤ人への手紙 2章