神から力を頂かなければ何も出来ない

5月21日

「神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいて下さるであろう」。ヤコブ4:8a

 神様は全能者であり、万物をみ心のままに動かされる方です。一方、私たちは被造物で、神様から力や知恵を頂かなければ、何ひとつ出来ない罪人です。しかし、主は憐れんで、御子の犠牲をもって、すべてをゆるし、御許に招いておられます。神様からの恵みを受けるために、まず行動を起こすのは、あなたです。へりくだって、主を求めてください。(KE)

今日の通読箇所

エレミヤ書3章

使徒行伝28章

身代りとして御子を世に遣わされたのです

5月20日

「地とそれに満ちている物とは、主のものだからである」。第一コリント10:26

 森羅万象すべては神様のものです。それを勝手に切り分けて、自分の物としています。私たち自身も神様の物であります。神様の御手から落ちこぼれたものはありません。だから、私たちの身代りとして御子をも惜しまず、世に遣わされたのです。自分が主のものであることを自覚して感謝しつつ、今日も御手に握られて生きてください。(KE)

今日の通読箇所

エレミヤ書2章

使徒行伝27章

神は私達をもう一度生きる者にしたのです

5月19日

「夜はふけ、日が近づいている。それだから、わたしたちは、やみのわざを捨てて、光の武具を着けようではないか」。ローマ13:12

 本来人は神様の光の中で喜び、楽しみ、感謝に溢れた日々を過ごす者でした。しかし、罪の結果、神様から離れて、闇の中で生きる者となったのです。神様は死んだものである私たちをもう一度生きる者にしようと、御子によって救いを完成して下さったのです。間もなく主は再び来られます。その時が夜明けのときです。(KE)

今日の通読箇所

エレミヤ書1章

使徒行伝26章

人は生きよとの主の言葉によって生まれた

5月18日

「わたしたちは、生きるのも主のために生き、死ぬのも主のために死ぬ。だから、生きるにしても死ぬにしても、わたしたちは主のものなのである」。ローマ14:8

 誰ひとり、自分で生まれた者はいません。すべての人は「生きよ」との主の言葉によって生を受け、生きる者となったのです。両親は神様の道具として用いられたのです。当然、人の終りも、神様のみ心に従ってこの世での命は終わります。あなたが認めようと、認めまいと、神様に握られているのです。今日の一日も神様が造られる者であると覚えてください。(KE)

今日の通読箇所

イザヤ書66章

使徒行伝25章

私が神をはね退けているのかもしれません

5月17日

「われわれは神のうちに生き、動き、存在しているからである」。使徒17:28

 苦しみの中、神様を見失ってしまうことがあります。しかし神様が居られない世界はありません。ともすると私達の内の「こうあるべきだ」という固定観念が硬いシェルターとなって、神様の手をはねのけているのかもしれません。聖歌に『条件つけず降伏せば勝ち得べし勝利を』とあります。心を真っ新にして主の御手に飛び込みましょう。(MK) 

今日の通読箇所

イザヤ書65章

使徒行伝24章

私達は自然に、大きな力を覚えます

5月16日

「わたしたちは主を知ろう、せつに主を知ることを求めよう」。ホセア6:3

 自然は第二の聖書であると言われます。大海原を見る時、満天の星空を眺める時、私達はそこに、人知では計り知ることの出来ない大きな力を覚えます。また、誰の目にも触れないような場所に咲く一輪の野花の可憐さに、心打たれることもあります。私達が主を知りたいと願う時、遍く満ちる神様の豊かな業の中に生かされていることに気付きます。(MK)

今日の通読箇所

イザヤ書64章

使徒行伝23章

感謝すると決断する所に聖霊は働かれます

5月15日

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい」。Ⅰテサロニケ5:16-18

 喜び感謝しながら生きたいとは、多くの人の願うところでしょうが、そうできない現実があまりにも多いように思われます。しかし喜ぶことが出来る条件が揃うのを待つのではなく、「感謝する」と決断するところに聖霊は働かれます。主の恵みを信じて踏み出すとき、新しい視界が開かれます。(MK)

今日の通読箇所

イザヤ書63章

使徒行伝22章

主は今日も私達と共に、生きておられます

5月14日

「神は、あなたがたをキリストと共に生かし、わたしたちのいっさいの罪をゆるして下さった」。コロサイ2:13

 私たちは罪と咎とに死んだものであって、腐敗と汚物にまみれた者でした。しかし、主の十字架の功績によって、私たちの罪科を消し去ってくださいました。そればかりか、新しい命となるため、主はよみがえり、今日も私たちと共に生きておられるのです。今日も赦された喜びと新しい命の主に全く委ねて過ごそうではありませんか。(KE)

今日の通読箇所

イザヤ書62章

使徒行伝21章

結果を想定せず、神様の手に委ねる事です

5月13日

「わたしたちは、善を行うことに、うみ疲れてはならない。たゆまないでいると、時が来れば刈り取るようになる」。ガラテヤ6:9

 どんな事をするにしても、最初は期待も大きく、元気よくやり始めますが、時が経つと疲れが出て来ます。しかも期待したほどの結果がないと、勢いがなくなり、尻切れトンボになります。そうならないためには、結果を想定しないで、神様の手に委ねることです。善きことを始めたら、自分ではなく、主の業として、日々主に捧げることです。(KE)

今日の通読箇所

イザヤ書61章

使徒行伝20章

父なる神様に願って下さったのです

5月12日

「わたしがお願いするのは、彼らを世から取り去ることではなく、彼らを悪しき者から守って下さることであります」。ヨハネ17:15

 最後の晩餐が終わったときの主の祈りです。悪は私たちを主から切り離そうと強力に襲ってきます。自分の力で立ち向かうことはできません。だから、主は父なる神様に願って下さったのです。この祈りは、天に帰られ、父の右に座しておられる今も、今日も、主は祈ってくださいます。主の守りの御手を信じて、遣わされましょう。(KE)

今日の通読箇所

イザヤ書60章

使徒行伝19章