愛されることを通して、初めて愛するようになります

11月16日

「主は、わたしたちのためにいのちを捨てて下さった。それによって、わたしたちは愛ということを知った。それゆえに、わたしたちもまた、兄弟のためにいのちを捨てるべきである。」第一ヨハネ3:16

 人は愛されることを通して、初めて愛するようになります。ですから、主がいのちを捨てて愛して下さったことを深く悟るとき、そのように他者を愛するようになります。他者を愛するとき、自分が愛されていることをさらに深く確かに受け止めることが出来ます。(KE)

あなたにとって、今必要不可欠な是非とも無くてはならないものとは何でしょうか

11月15日

「あなたは多くのことに心を配って思いわずらっている。しかし、無くてならぬものは多くはない。いや、一つだけである。」ルカ10:41-42

 「心配」、「思い煩い」は多くのことに心が分散して、あれもこれも大切だと思ってしまい、何が大切であるかがみえなくなる状態です。イエス様は愛するマルタに大切なものは一つだけだと諭しました。あなたにとって、今必要不可欠な是非とも無くてはならないものとは何でしょうか。そこに心を定めてください。そうすればおのずからすべてが整います。(KE)

それほどの犠牲をいとわないで、あなたを愛して下さる神様が惜しむものは、ほかにあるでしょうか

11月14日

「ご自身の御子をさえ惜しまないで、わたしたちすべての者のために死に渡されたかたが、どうして、御子のみならず万物をも賜わらないことがあろうか。」ローマ8:32

 神様はその愛するひとり子、イエス様をあなたの罪の償いとして、世に遣わしてくださいました。それほどの犠牲をいとわないで、あなたを愛して下さる神様が惜しむものは、ほかにあるでしょうか。あなたの求めるところ、願うことに躊躇するでしょうか。主は豊かに、溢れるほどに、惜しみなく与えたもうお方です。(KE)

苦難の中に置かれると、真理を聞き分ける心の耳が開かれるからです

11月13日

「神は苦しむ者をその苦しみによって救い、彼らの耳を逆境によって開かれる。」ヨブ36:15

 世には様々なものがあって、人の心を迷わせ、目を奪い、自分自身の姿すら分からなくしています。そのような虚飾、虚栄を取り去って、真実な自分を取り戻すには、「苦しみ」にあうことが最善です。苦難の中に置かれると、心が砕かれ、神様を謙遜に求め、真理を聞き分ける心の耳が開かれるからです。試練に遭わなければ幸いですが、人は強情で頑なですから、これによらなければ救われません。試練は大きな恵みです。(KE)

信仰生涯のゴールは信仰を最後まで持ち続けなければ得られません

11月12日

「もし最初の確信を、最後までしっかりと持ち続けるならば、わたしたちはキリストにあずかる者となるのである。」ヘブル3:14

 信仰生涯には必ずゴールがあります。そこで栄光を受ける望み、キリストにあずかる望みを抱いて、地上の旅路を進むのです。やがて、この世の使命が終わると、神様の報いを受けます。そのためには信仰を最後まで持ち続けなければ得られません。耐え忍んでゴール手前に来ても、そこで信仰を捨てるなら、全てが無になります。最後まで信仰を持ち続けましょう。(KE)

自分の正義をもって物事をはかり、怒りをぶつけるのは神様を拒むことです

11月11日

「人の怒りは、神の義を全うするものではないからである。」ヤコブ1:20

 全てのことを裁かれるのは神様です。神様を信じる、信頼するとは現実の事柄の中で、自分の判断に頼らず、神様が報いてくださると信じることです。人が自分の正義をもって物事をはかり、怒りをぶつけるのは神様を拒むことです。ですから、「怒り」によって人は罪を犯すことになります。神様の力が現され、義が明らかになるように、自ら節制をして、主に任せることを学んでください。(KE)

もう一度、あなたの頼りがいのあるものが何であるか、心のうちを探ってみてください

11月10日

「主はわが岩、わが城、わたしを救う者、わが神、わが寄り頼む岩、わが盾、わが救の角、わが高きやぐらです。」詩篇18:2

 神様に対して、ここまで徹底して信頼するならば、怖いものなしです。しかし、現実の問題や困難のゆえに、神様の存在をこれほど確かなこととして信じ得ないのです。もう一度、あなたのこれこそ確固として頼りがいのあるものが何であるか、心のうちを探ってみてください。きっと藁くずのようなものではないでしょうか。他に頼るべきものがないとき、神様だけがすべてとなります。(KE)

主が時を動かされるまで、耐え忍んで待ち望もうではありませんか

11月9日

「わたしの時はあなたのみ手にあります。わたしをわたしの敵の手と、わたしを責め立てる者から救い出してください。」詩篇31:15

 自分の時は自分が握っていると多くの人々は信じています。そのため上手くいくと、うぬぼれ、失敗すると自責の念に苦しむのです。人の時は神様の手にあります。生まれるときから、死ぬときまで、神様が時を導いておられるのです。時の支配権を主にゆだねて、主が時を動かされるまで、耐え忍んで待ち望もうではありませんか。神様のなさる時は最善にして最高です。(KE)

神様を畏れ敬う人はどんな事にも動揺することはありません

11月8日

「正しい人は決して動かされることなく、とこしえに覚えられる。彼は悪いおとずれを恐れず、その心は主に信頼してゆるがない。」詩篇112:6-7

 「正しい人」とは神様を畏れ敬う人のことです。神様に見られ、裁かれることを知っているなら、どんな事にも動揺することはありません。悪いおとずれを聞いても、恐れません。神様が生殺与奪の権威を持っておられることを信じて疑わないからです。主に信頼してこのような不動の心を得させていただこうではありませんか。(KE)

神様が人の思いや考えを越えたご計画によって、あなたのために備えてくださることなのです

11月7日

「主が命じられたのでなければ、だれが命じて、その事の成ったことがあるか。災もさいわいも、いと高き者の口から出るではないか。」哀歌3:37-36

 日々の生活、また人生に起こるすべての業や事柄は神様の手によるものです。災いや不幸の原因を周囲の人や境遇の所為にして、つぶやき、憤り、非難しようとします。実は、神様が人の思いや考えを越えたご計画によって、あなたのために備えてくださることなのです。主は今日もあなたを愛をもって取り扱って、すべてのわざを備えてくださいます。(KE)