1月1日
「信仰によって、アブラハムは、受け継ぐべき地に出て行けとの召しをこうむった時、それに従い、行く先を知らないで出て行った。」ヘブル11:8
2021年を迎えました。おめでとうございます。アブラハムは信仰の父と呼ばれる人物ですが、そう呼ばれるのは、置かれた境遇、与えられた条件など、どれを見ても神様の約束が果たされるとは全く思われない中で信じ続けたことに尽きます。世に残す大事業をしたわけではなく、ただ神様を信じ続けるだけの生涯、それを神様は喜んでくださったのです。(KE)
1月1日
「信仰によって、アブラハムは、受け継ぐべき地に出て行けとの召しをこうむった時、それに従い、行く先を知らないで出て行った。」ヘブル11:8
2021年を迎えました。おめでとうございます。アブラハムは信仰の父と呼ばれる人物ですが、そう呼ばれるのは、置かれた境遇、与えられた条件など、どれを見ても神様の約束が果たされるとは全く思われない中で信じ続けたことに尽きます。世に残す大事業をしたわけではなく、ただ神様を信じ続けるだけの生涯、それを神様は喜んでくださったのです。(KE)
12月31日
「苦しみにあったことは、わたしに良い事です。これによってわたしはあなたのおきてを学ぶことができました。」詩篇119:71
今年もいよいよ最後となりました。苦しみや不安、艱難を味わう一年であったと思います。不幸なことは人生にとってマイナスだと思いがちです。だから、「良い事」と言われると、意外に思います。しかし、艱難や試練を通して、神様を知り、み心を悟るからです。不幸な目にあうと、人は謙虚になり、自分の力の限界、弱さを知ります。またそのような境遇でなければ得られないものがあります。(KE)
12月30日
「わたしたちは神の作品であって、良い行いをするように、キリスト・イエスにあって造られたのである。」エペソ2:10a
そもそも人は神様に造られたものであったのですが、造物主の意図に反して堕落し、制作者の面目を失わせてしまったのです。神様は古いものを全て取り払い、新しいものを作ろうとなさいました。イエス様の十字架とよみがえりを信じて生きるとき、その人は神様の新しい作品となるのです。新創造の目的は創造者である神様の栄光を輝かせることです。神様のみ心に従って生きることが、主の喜ばれることです。(KE)
12月29日
「わたしたちの住んでいる地上の幕屋がこわれると、神からいただく建物、すなわち天にある、人の手によらない永遠の家が備えてあることを、わたしたちは知っている。」第二コリント5:1
私たちの地上での生活は一時的なものであって、旅先にあるようなものです。“幕屋”とはテントのこと、仮設の住まいです。そこにいつまでも滞在するものではありません。必ず帰るべき永遠の住まいがあります。そこは私たちの故郷であり、神様によって備えられた建物があります。そこが私たちの旅の目的地、ゴールです。(KE)
12月28日
「あなたがたはキリストのからだであり、ひとりびとりはその肢体である。」第一コリント12:27
イエス様に救われた者たちは“キリストのからだ”というべき集合体の一員となったのです。からだには様々な働きをする肢体が備わっています。それぞれの役割、かたち、部位は全く違いますが、一つでも欠ければからだ全体が不調になります。救われた者たちも決して同じものはありません。比較したり、優劣を競うのは無意味です。それぞれが与えられた賜物を感謝して、主に喜ばれることを努めようではありませんか。(KE)
12月27日
悩みの日にわたしを呼べ、わたしはあなたを助け、あなたはわたしをあがめるであろう。」詩篇50:15
神様は幸いばかりでなく、災いや悩みも与えられます。そうでもしなければ、人が神様を求めようとしないことを知っています。少しでも神様に近づき、呼び求めることを主は喜ばれるのです。しかも、ご自分の栄誉のために私たちを助けたいのです。私たちが助けを得て、喜び、感謝して、神様をあがめる者となる。それが神様の願いです。だから、神様は私たちの祈りと願いに必ず答えてくださいます。(KE)
12月26日
「見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである。」マタイ28:20b
イエス様はこの世での使命を終わり、父の御許へ帰られましたが、その時に約束された言葉です。なんと幸いなことでしょうか。主がいつでも私たちと共にいてくださるのです。ただ、具体的な日常生活がこの言葉への応答になるように生活することが求められています。朝から晩まで、何をするにも、どこに行くにもいつも主がおられるように振る舞い、語り、歩むことによって主の約束が完成するのです。(KE)
12月25日
「暗やみの中に歩んでいた民は大いなる光を見た。暗黒の地に住んでいた人々の上に光が照った。」イザヤ9:2
2020年、クリスマスおめでとうございます。今年はコロナ感染の不安と恐れに捕らわれた一年でした。望みのない、また得体のしれない不安が心を闇にして、常ならぬ人の悪が支配しています。たとえどんなに闇が深くあろうと、上には燦然と輝くベツレヘムの星、救い主を指し示す光が輝いています。さあ、この方をあなたの心に迎えようではありませんか。(KE)
12月24日
「そこでマリヤが言った、『わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身に成りますように』。そして御使は彼女から離れて行った」。ルカ1:38
毎年繰り返されるクリスマスの物語は聞くたびに心が温かくなります。その理由はマリヤにしろ、ヨセフにしろ、神様に負わされた使命がどんなに厳しいものであっても、謙遜の限りを尽くして従順に従う姿にあります。人にへつらい、繕うのではなく、全能者である神様の前に自らを低くするからです。あなたもマリヤ・ヨセフになってください。(KE)
12月23日
「ご自身の御子をさえ惜しまないで、わたしたちすべての者のために死に渡されたかたが、どうして、御子のみならず万物をも賜わらないことがあろうか。」ローマ8:32
神様は徹底して私たちの側に立ってくださるかたです。御子すらも惜しまないかたが、そのほかのことで何を惜しむことがあるでしょうか。十字架を通して現された神様の愛は限りないものです。あなたがどのような苦しみや悲しみにあろうと、神様の愛を疑ってはなりません。また、自分に失望落胆しようとも、神様は決して見捨てることはありません。(KE)