あなたが主に求めるものは何でしょうか

3月26日

「それゆえ、聞きわける心をしもべに与えて、あなたの民をさばかせ、わたしに善悪をわきまえることを得させてください。」列王上3:9a

 ソロモン王が祈りのうちに神様に求めたものです。彼は領土を、富を、健康などを求めませんでした。あなたが主に求めるものは何でしょうか。物質的な豊かさ、あなたの夢や願望の実現などを祈りますか。それも結構ですが、しかしもっと大切な求めるべきことは、神様を畏れ、み心を知り、正しく生きるために必要な心と知恵ではないでしょうか。(KE)

主の言葉を信じてその通りにしたところ、驚くほどの魚が獲れたのです

3月25日

「シモンは答えて言った、『先生、わたしたちは夜通し働きましたが、何も取れませんでした。しかし、お言葉ですから、網をおろしてみましょう』。」ルカ5:5

 イエス様はペテロに網をおろして漁をしてみなさいと言われました。彼は主の言葉を信じてその通りにしたところ、驚くほどの魚が獲れたのです。結果が見えていて従うことは易しいことですが、漁師でもない人の唐突な言葉に従うには勇気がいります。しかし、語っている人を信じるなら、納得できない言葉にも従うことができます。(KE)

彼はすぐに命じられたようにしました。

3月24日

「信仰によって、アブラハムは、試練を受けたとき、イサクをささげた。すなわち、約束を受けていた彼が、そのひとり子をささげたのである。」ヘブル11:17 

 アブラハムは神様からその子イサクを捧げるようにと求められたとき、彼はすぐに命じられたようにしました。しかし、神様はイサクをもう一度彼の手に戻してくださいました。彼が神様をどれほど深く信頼しているかを試みられたのです。主は同じようにあなたを試みて、心を知りたいと願っておられます。神様の命令に全く従って、信仰の結果を得て下さい。(KE)

卑しく、また穢れていても失望することはありません

3月23日

「彼は、万物をご自身に従わせうる力の働きによって、わたしたちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じかたちに変えて下さるであろう。」ピリピ3:21

 自分を変えようとしても、人は出来ません。イエス様は死からよみがえることによって、肉にある卑しいからだを、神様の栄光のからだへと変えられました。それはイエス様を信じるあなたをも造り変えて、主と同じ姿に変えて下さる保証です。今、あなたがどんなに卑しく、また穢れていても失望することはありません。イエス様を信じましょう。(KE)

祈りつつ、主のみこころを確信して、踏み出すことが大切です

3月22日

「あなたがたのうちに働きかけて、その願いを起させ、かつ実現に至らせるのは神であって、それは神のよしとされるところだからである。」ピリピ2:13

 神様は人の心に働きかけて、ご自身のご目的を果たそうとされます。あなたの心に予期しない思いや願いが与えられるとき、戸惑ったり、躊躇したりしますが、その思いを打ち消さず、祈りつつ、主のみこころを確信して、踏み出すことが大切です。目の前の諸般の条件を考えて、損得を計算すると失敗します。主の導きを信じて進みましょう。(KE)

今、自分がどんなに危機的な時にあるかを知りません

3月21日

「気をつけて、目をさましていなさい。その時がいつであるか、あなたがたにはわからないからである。」マルコ13:33

 「その時」とは世の終り、終末の時のことですが、そればかりではなく、この世での命の終りの時とも言えます。人は愚かな者で、今、自分がどんなに危機的な時にあるかを知りません。だから、気楽にして居られるとも言えますが、後悔する時が必ず来ます。自分の終りの時も含めて、すべてが終る時をはっきり意識して、今日なすべきことを果たしておきましょう。(KE)

どうぞ、遠慮なく、どんなことでも祈ってください

3月20日

「何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。」ピリピ4:6

 嬉しいことではないですか。どんなことでも神様に申し上げなさいと勧めて下さるのですから。あなたの祈りを、願いを聞こうと言ってくださる神様がどこにいるでしょうか。どうぞ、遠慮なく、どんなことでも祈ってください。祈り方や特別な言葉はありません。あなたが家族に話すように主に語るのです。最後に「主の御名によって」と結んでください。(KE)

人を愛するには自分が神様からどんなに深く愛されているかを知らなければなりません

3月19日

「子たちよ。わたしたちは言葉や口先だけで愛するのではなく、行いと真実とをもって愛し合おうではないか。」第一ヨハネ3:18

 私たちには他者(ひと)を愛する真の愛がありません。あるのは自分を愛する自己愛だけです。真実に人を愛するには自分が神様からどんなに深く愛されているかを知らなければなりません。罪人である私たちのために命を捨てて下さった愛を深く感じ、それに応答して自分を捨て、無償の愛に踏み出すとき、真実の愛が全うされます。主の十字架を見上げて、そこにある愛に溢れる者となりましょう。(KE)

主によって生かされていることを確信するとき、強く立つことが出来ます

3月18日

「わたしは、自分を強くして下さったわたしたちの主キリスト・イエスに感謝する。」第一テモテ1:12a

 人は弱いので、強くなろうと努力します。他人(ひと)の噂、死の恐れ、経済的な不足、嫌われることの恐れ、など、いろんなことで動かされ、ひとときも休まりません。しかし、あなたがキリストと共に十字架に死んだものとなりきって、主によって生かされていることを確信するとき、失うことを恐れず、さまざまな風評に動かされず、どんなものにも囚われず、強く立つことが出来ます。(KE)

神様はあなたを御手に握って下さったことによって“愛”を示してくださいました

3月17日

「しかし、まだ罪人であった時、わたしたちのためにキリストが死んで下さったことによって、神はわたしたちに対する愛を示されたのである。」ローマ5:8

 わたしたちの事情・境遇の善し悪しによって神様の愛を知ることも、量ることもできません。ただ、十字架を立てて、罪を赦し、神様はあなたを御手に握って下さったことによって“愛”を示してくださいました。値打ちも、価値もない者のために、命を捨てて下さった愛、この愛を信じて、感動して、愛に応答して生きるとき、命と力が湧いてきます。(KE)