11月3日
「ただ、ひとりも滅びることがなく、すべての者が悔改めに至ることを望み、あなたがたに対してながく忍耐しておられるのである」。第二ペテロ3:9b
やがて終末のときが来て、最後の審判を受ける時がくると約束されています。ただその時がいつであるか、だれも知りません。神様はすべての人が悔い改めるのを長く忍耐しておられるのです。だから、今は恵みの時です。ただし、この恵みの時を軽んじてはなりません。常に心引き締めて、主の御心に叶う歩みを努めましょう。(KE)
今日の通読箇所
11月3日
「ただ、ひとりも滅びることがなく、すべての者が悔改めに至ることを望み、あなたがたに対してながく忍耐しておられるのである」。第二ペテロ3:9b
やがて終末のときが来て、最後の審判を受ける時がくると約束されています。ただその時がいつであるか、だれも知りません。神様はすべての人が悔い改めるのを長く忍耐しておられるのです。だから、今は恵みの時です。ただし、この恵みの時を軽んじてはなりません。常に心引き締めて、主の御心に叶う歩みを努めましょう。(KE)
今日の通読箇所
11月2日
「わたしのためにつくられたわがよわい日のまだ一日もなかったとき、その日はことごとくあなたの書にしるされた」。詩篇139:16b
人が生まれて、その後どのような生涯をたどるか、自分のことながら、さっぱりわかりません。人生設計をやってみますが、計画通りの人生を送ることもできません。なんだか行き当たりばったりのように思われますが、それは自分ではなく、神様がそれぞれに道を備えておられるからです。私たちの人生は神様の作品です。(KE)
今日の通読箇所
11月1日
「主こそ神であることを知れ。われらを造られたものは主であって、われらは主のものである。われらはその民、その牧の羊である」。詩篇100:3
神は万物の創造者、また造られたすべてのものを治めておられるかたです。私たちには見えなくとも、牧羊者のごとく、今日も群れの羊たちを導いておられます。しかし、神様の為さることをすべて知ることができません。私たちはただ信頼して、日々、導かれるところへ従って行くことが最善の道です。(KE)
今日の通読箇所
10月31日
「事の帰する所は、すべて言われた。すなわち、神を恐れ、その命令を守れ。これはすべての人の本分である」。伝道12:13
どんなに多くの書を読もうと、また精神を鍛錬し、自分を磨こうとしても、人を造り変えることはできません。しかし、人が人としてなすべきことはただこれだけです。神様を畏れ敬い、神様の御心を求めて従う。今日も神様の備えらえた一日であり、携わるすべてのわざが主の御心であると信じるだけです。全力を尽くして本分を果たしましょう。(KE)
今日の通読箇所
10月30日
「『昔が今よりもよかったのはなぜか』と言うな。あなたがこれを問うのは知恵から出るのではない」。伝道7:10
歳を取ると、過去の時代や物事が鮮明に思いだされます。その結果、「あの頃は良かった」と慨嘆することになります。それは今を受け止めることができない結果です。私たちは今を生きるほか道はありません。過ぎ去ったことに捉われず、今与えられている命の限りを全力を尽くして生き抜こうではありませんか。(KE)
今日の通読箇所
10月29日
「あなたのパンを水の上に投げよ、多くの日の後、あなたはそれを得るからである」。伝道11:1
パンを水の上に投げるなど、無駄なことに思われます。今していることが、やがてどうなるのか、誰も知りません。しかし、全能の神である主はすべてのわざを導かれます。あなたが主を信じて踏み出すなら、必ず結果が伴います。人のするどんなわざでも、神様はすべてを見ておられ、報われます。(KE)
今日の通読箇所
10月28日
「彼は母の胎から出てきたように、すなわち裸で出てきたように帰って行く。彼はその労苦によって得た何物をもその手に携え行くことができない」。伝道5:15
神様は人を造られたとき、人が額に汗して生きる者としたのではありません。この世にあって、常に喜び、絶えず祈り、すべての事を感謝するように造られました。裸で出てきた私たちは主が与えられるすべてのものを楽しむためであります。やがて終りのとき、すべてを捨てて新しい世界に移ります。そこにはこれまで以上の恵みが備えられています。(KE)
今日の通読箇所
10月27日
「片手に物を満たして平穏であるのは、両手に物を満たして労苦し、風を捕えるのにまさる」。伝道4:6
昨今の社会情勢は物価高と低賃金で、先行き不透明から、少しでも貯えを増やそうとする状況です。その結果、飢餓感に悩まされ、生活に満足感が得られません。今日一日が過不足なく過ごせるなら、それで十分ではありませんか。明日のことはあす自身が思いわずらうと主は言われます。(KE)
今日の通読箇所
10月26日
「一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる」。ヨハネ12:24
イエス様は神の御子でありましたが、私たちに真の命を与えるために、世に降って来られました。丁度、一粒の麦のように。麦は地に播かれ、土に埋もれて分解され、死んだような状態から、新しく万倍の命が芽生えます。あなたを生きる者とする新しい命の種が宿っています。自我が死ねば、新しい命に生きることが出来ます。(KE)
今日の通読箇所
10月25日
「イエスは彼らに言われた、『わたしが命のパンである。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決してかわくことがない』」。ヨハネ6:35
食は肉体の命を養うに必須です。では、心の命にとって何が不可欠でしょうか。文化芸術を観賞しようと、情操教育を施そうとも、心の命の糧にはなりません。イエス様を食べる、すなわち、主の言葉を食べなければ、魂は衰えて、力をなくします。今日も御言葉を心に据えて、主の命によって生きようではありませんか。(KE)
今日の通読箇所