孤立無援でも、主は見捨てる事をしません

11月15日

「そこでハガルは自分に語られた主の名を呼んで、「あなたはエル・ロイです」と言った。彼女が「ここでも、わたしを見ていられるかたのうしろを拝めたのか」と言ったことによる」。創世記16:13

ハガルは女主人サライの命により、アブラムとの子を身ごもりますが、居心地が悪くなり逃亡を計ります。しかし神様は、ハガルとその子イシマエルへの祝福を約束して下さいます。孤立無援に思える状況下でも、主は私達を見捨てる事をなさいません。(MK)

今日の通読箇所

マラキ書1章

マルコによる福音書7章

神が約束を守り、不利益を被る契約です

11月14日

「そして主は彼を外に連れ出して言われた、「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみなさい」。また彼に言われた、「あなたの子孫はあのようになるでしょう」。創世記15:5

 御自身の導きに従って故郷を出たアブラムに、星の数ほどの子孫を与えると、祝福の約束をなさった神様。この後、神様が一方的に約束を守り、その不利益をも被るという内容で、契約は締結されます。神様の十字架への計画は、この時既に始まっていたのです。(MK)

今日の通読箇所

ゼカリヤ書14章

マルコによる福音書6章

主によって生かされている事を忘れずに

11月13日

「わたしは糸一本でも、くつひも一本でも、あなたのものは何も受けません。アブラムを富ませたのはわたしだと、あなたが言わないように」。創世記14:23

 ケダラオメルとの戦いで、アブラムに助けられたソドムの王が、自国の民以外の戦利品はあなたに譲ると申し出た際の、アブラムの返答です。私達も、社会や企業からの恩恵や対価によってではなく、それらを用いて人を養っておられる、主によって生かされている事を忘れずにいましょう。(MK)

今日の通読箇所

ゼカリヤ書13章

マルコによる福音書5章

結局非難される様な事を自分もやってます

11月12日

「人をさばくな。自分がさばかれないためである」。マタイ7:1

 清廉潔白、どこを叩いても塵一つでない人はいません。ところが、人は浅はかなもので、他者の失敗を声高に非難するものです。昨今のSNSの世界は激しい非難中傷の応酬です。自分勝手な正義を振りかざして他者を断罪する。真に笑止千万です。なぜなら、結局、同じ非難されるようなことを自分もやっているのです。常に自らを省みて、口を慎みましょう。主はご存じだから。(KE) 

今日の通読箇所

ゼカリヤ書12章

マルコによる福音書4章

良きも悪しきも、すべての事に報います

11月11日

「すると、隠れた事を見ておられるあなたの父は、報いてくださるであろう」。マタイ6:4b

 神様は人の思いをはるかに超えて大いなる方です。だからと言って、大雑把で小さなものには目が届かないと思うなら、大変な間違いです。神様はミクロからマクロまで、細大漏らさず、見て、聞いて、知っておられます。同時に、良きも悪しきも、すべての事に報いてくださいます。人からの報いではなく、主からの報いを期待しましょう。(KE)

今日の通読箇所

ゼカリヤ書11章

マルコによる福音書3章

パンだけで人は生きるのではありません

11月10日

「イエスは答えて言われた、『人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである』と書いてある」。マタイ4:4

 物質的な命を養うにはパンが不可欠です。しかし、それだけで人は生きるのではありません。魂、あるいは心という霊的な力が必要です。それを与えてくれるものは、神様の口から出るみ言葉です。「御言には、あなたがたのたましいを救う力がある」と聖書にあります。朝ごとのみ言葉から力を受け、内なる人を強くしてください。(KE)

今日の通読箇所

ゼカリヤ書10章

マルコによる福音書2章

聖霊が下って、新しい道筋を見せたのです

11月9日

「また天から声があって言った、『これはわたしの愛する子、わたしの心にかなうものである』」。マタイ3:17

 イエス様がヨハネによって、ヨルダン川で洗礼を受けられました。水から上がると、聖霊が鳩のようにくだって、天から声がしました。人が罪をゆるされ、新しく生まれる道筋を見せてくださったのです。今も神様は私たちに同じ聖霊を注ぎ、「わたしの愛する子」と呼んでおられます。(KE)

今日の通読箇所

ゼカリヤ書9章

マルコによる福音書1章

人が計画する時、主が閉ざす事があります

11月8日

「これによってその町の名はバベルと呼ばれた。主がそこで全地の言葉を乱されたからである。主はそこから彼らを全地のおもてに散らされた」。創世記11:9

 バベルの塔の建設目的は、民がその場所を離れず、皆で同じ場所に住み続けることでした。人が自分の計画と業によって、自らの人生を設計しようとする時、主が突然それを閉ざされることがあります。しかし想定外の出来事の中に、思いがけない道が開かれるのも、また主の業です。(MK)

今日の通読箇所

ゼカリヤ書8章

マタイによる福音書28章

人が心を入れ替えたから赦すのではない

11月7日

「主はその香ばしいかおりをかいで、心に言われた、「わたしはもはや二度と人のゆえに地をのろわない。人が心に思い図ることは、幼い時から悪いからである。わたしは、このたびしたように、もう二度と、すべての生きたものを滅ぼさない」。創世記8:21

 ノアの方舟のクライマックスです。神様は、人が心を入れ替えたから赦すと言ったのではありません。人間を罪から救うため、神様が御自身の計画を変えようと言ってくださったのです。(MK)

今日の通読箇所

ゼカリヤ書7章

マタイによる福音書27章

自分の考える善悪で神のように振るまう

11月6日

「それを食べると、あなたがたの目が開け、神のように善悪を知る者となることを、神は知っておられるのです」。創世記3:5

 「神のように善悪を知る」と聞くと、まるで良い事の様に思えます。しかし蛇を装った悪魔がもたらしたのは、自分自身の考える善悪を、神のように振るう悪でした。人間が最も警戒すべきものの一つは、自己義認でしょう。自分を義とし、他者を悪とする心の中に、神をも偽とする罪が入り込んでいるのです。(MK)

今日の通読箇所

ゼカリヤ書6章

マタイによる福音書26章